コレクター・ユイ  二次創作小説

                           MEMORIAL GLOW


                         メモリアル・グロウ

                             chapter. 6


 薄暗い展示室内で、いったいなにが起こったのか…即座に把握した者は
いなかった。とにかく、何かが砕け散る音がして…
「な、なんじゃこりゃー!!」
 へっ?と目をやると、先ほどまで鋭い短剣を振りかざしていたはずの
コントロルは…グルグルに縛り付けられていた。緑の、ツタに。
(コントロルさんの制御が弱まった、今だわ!)
 ハルナは渾身の力を振り絞り、アンティの腕を振り切った。もともと、風の
属性の二人の力が同調し合い、二倍以上の威力を発揮してしまっていたのだか
ら、一方が弱まったのなら… ハルナのダブルワンドが、クルクルと宙を舞っ
た。

「行きます!〈コレクター・イニシャラーイズ!!〉」

 空間全体を支配していた圧迫感が、消えた。これほどまでに、制御されてい
たのか…
「そうだわ、アンティさんも!」
「ええ、ハルナちゃん、わたしもすぐ行きます!」
 じゅうたん巻きから脱出したレスキューは、イニシャライズされたアンティ
の元に駆け寄った。限界を超えた力を使ってしまったせいか…ぐったりと床に、
倒れこんでしまっている。
「すごい熱です…偽バグルスの後遺症に間違いありません。早く治療しないと…」
「おーい、解決したなら、いいかげん下ろしてくれ〜」
 あら、まだ縛られてたんですか?のレスキューの声に、にらみを効かすやら
ジタバタするやら。が、ツタたちはコントロルを床に下ろしてくれた。
「…ったく、だらしないなぁ。それでよく、リーダーなんて言えたもんだよ」
 相変わらず、トゲのある物言いのまま、エコは近づいてきた。
「エコ!いつから来ていたんですか?」
「ネット自体には来てたんだ、火事が起こったらすぐ消火できるようにって。
けど、すぐコントロルに建物を封鎖されちゃって。美術館にお約束の、手入れ
の良い庭木はいっぱいあったんだけど、なにしろ窓が少ないだろ。それで進入
に手間取っちゃって…でも、コントロルがギャーギャー騒いでくれたおかげで、
狙いが定めやすかったよ」
 コントロルが膝から崩れ、座り込んでしまったのは、バグルスの後遺症なの
か、緊張の糸が切れた脱力感からか…
単なる脱力感からか…
「これでわかっただろ、コントロルはリーダーとして、まだまだなんだよ!
だから、これからも…もっとリーダーらしくなるために、がんばり続けなきゃ
いけないんだよ、わかったか!」
 叫びながら、怒りながら、やっぱり…涙ぐんでいるエコ。照れ隠しに、グイ
と、腕で涙をぬぐった。
「…ありがとう、俺はまだ…〈生きてる〉んだな……」
「当たり前だろ、仲間を残して勝手にいくなよ。ずっと、ずっと一緒なんだか
らさ…って、おい、倒れてくるな〜 ムギュ…た、助けて〜ボク一人じゃ、
コントロルの体重は支えきれないよ〜〜」
「通信が復旧しました!犬養おじ様に連絡して、お二人を医務室に搬送する
手配は済みましたから、安心してください。…それにしても、いったい誰が
こんなひどいことを…」
「…犯人の目星は、すでについている。今頃は、袋のネズミだろうさ…」
(それよりもユイ…無事でいてくれ……!)

 夕焼けが、燃えるような赤をきらめかせたのもつかの間…すぐに淡く溶けゆ
き、消えゆきそうな綿毛の色を残しながら、宇宙の濃紺に飲み込まれてようと
していた。
「うっわぁ…キレイ…… 本物の夕焼けより、キレイかもしれない!
これが〈黄昏の波止場ネット〉ご自慢の、夕焼けイベントね。これから、波止
場の灯りがともって、豪華客船の窓が光って…って、あれ??」
「残念ながら、こいつはイベントじゃないみたいだぜ。見ろ、建物も道路も
バグに消され始めてる!なにが起こるか分からないぞ、絶対に俺にそばを
離れるなよ …って、だからって、そんなにしがみつくな!!」
「あ〜ん、いま自分で、離れるなって言ったじゃない〜〜」

(ちっ、こんなことなら、ユイを変身させておくんだったな。だが、バグルス
の発生のスピードは、これまでの例と比べても、格段に速かった。イニシャラ
イズしたとしても、間に合ったかどうか…)
 離れるな、と言ったはずなのに、ユイは消えていた。漆黒の闇。上下の感覚
すら麻痺しそうな、真っ暗闇のただ中に、シンクロは一人で立っていた。もっ
とも、彼には火の能力がある。すぐに手の平にボール状の炎を作り、掲げてみ
た。
(森の中の一本道…?虫の音も聞こえる。どちらかというと、俺の別荘ネット
に近いような…波止場ネットから、転送されちまったのか?)
 しばらく様子をうかがってみたが、変化はない。とにかく動いてみないと。
「ユイー!どこだーっ!」
 手の平の灯火はかすかで、足元を照らすだけ。この暗闇の中で、ユイは一人
きりで、どれほど不安がっているだろう。早く、早く見つけてやらなければ…!
「ユイーッ!」
 草を踏みしめる小さな足音が聞こえたときは、胸が高鳴った。人間と同じよ
うに作られているから。人間と同じように…喜びや、希望を持つ。
(! おまえは……!)
 薄茶色の長い髪、大きくつぶらな瞳、そして腕にはクマのぬいぐるみ…
(メールソフトのiちゃん…この子はコレクターアイに保護されているはずだ。
と、いうことは…)
 iちゃんは、不安そうにこちらを見上げている。彼女の目線に合わすように、
シンクロが膝まづくと、ビクッと半歩下がって、視線を逸らした。泣くなよ…
泣くなよ…、女の子に泣かれるのは苦手なんだ…
『…オオカミさん』
 げっ、俺、またウォーウルフに戻っちまったのか?!確認の手鏡を出すまで
もなく、女の子は続けた。
『オオカミさん、この道は、どこに通じているの?』
『それは、教えられないな』
 なんの思考もなく、彼の口からは自然とこんな言葉が出ていた。立ち上がり、
腕を組み、仁王立ちしていた(念のためすばやく目を配らせたが、ウォーウル
フの毛むくじゃらではなく、ちゃんと人間体のシンクロのままだった。そのこ
とだけには、ホッと息をつく)
『どうしても知りたければ…代償が必要だ。コトバでも、モノでもかまわん。
取り引きに応じるのか、答えろ』
(これは…あの絵本の台詞だ!アイの母親の、篠崎あずさが描いたという例の
絵本の…あの中でiちゃんはおつかいの途中、森の中でオオカミに出会って…
あっ、泣くなよ、泣くんじゃないぞ〜〜)
 iちゃんは、泣かなかった。その代わり、腕に抱いていたクマのぬいぐるみ
を地面に立たせた。クマは、軽く手を上げてみせた。iちゃんの安全装置になっ
ていたという、あのクマだ。
『iちゃんは困っているから、ボクが代わりに答えるよ。キミの望むものは何?』
『俺が望むものは…真実だ』
 クマは、小首をかしげた。短くて丸い腕を組み合わせるような、しぐさで。
『キミの望むものには、答えられない』
『どうしてだよ!』
『キミ自身が真実を隠しているから。真実から目を逸らそうとしているから。
時間の流れにまかせて、真実を過去のものにしようとしているから。それは
キミが決めることだ。どちらでもかまわない。でも、ボクには答えられない』
 このクマ…!シンクロがいくらにらみつけようと、その表情は変わらない。
『取り引きだよ。ボクらの進む道には、何があるの?』
『…未来だ。とっとと行け。そうだ、灯りが必要なら…』
 次の瞬間には、少女もクマも居なかった。やはり幻だったのか。しかし
なんだ、俺が真実から目を逸らしてるだと?勝手なことぬかしやがる…

 走ってくる、誰かが。草いきれの中、じっと待ち構えていた。
「シンクロ!もーっ、どこにいたの、探したんだから!!勝手にどっかに行っ
ちゃダメじゃないの〜」
 しがみついてくる、小さな背中。細い腕。でも、あたたかな、ぬくもり。
「ひとりで怖かったんだから…もうっ!」
「す、すまん…だけど、もうだいじょうぶだからな、安心しろ。灯りもあるし、
一緒にIRを探しにいこう。あいつを見つけ出せば、きっと解決法が…」
 腕の中で、震えてるのか?だから、泣くなって…でも、こういう時本当に、
人間の姿に戻っていてよかったと思うぜ。こいつの柔らかな体に、爪を立てな
いように気を配る必要がないんだからな。ただ、抱きしめてやればいいんだから。
「ごめんね、気づかなくて…シンクロの気持ちに。やっと、わかったの、わた
し…シンクロと一緒にいたいんだって。きっと…同じ気持ちなんだ、って…」
 見つめてくる、瞳。潤んで、嘘のない輝きの中に、呆然としてる自分の顔が
映ってる。それが近づいてくるのを、とどめるすべを知らない。柔らかな体が
押し付けられてくる。普段はおしゃべりな唇が、かすかな吐息と一緒に迫って
くるのを、拒むのは…… これまで様々な困難や苦痛に耐えてきたこの武人に
とって…考えたこともないほどの、難題だった。
「…それくらいで、いいだろう?さぁ、本物のユイはどこだ!」
 えっ?と困ったような笑みとともに、〈それ〉は少し、離れた。
「本物のユイは、俺を〈ワンちゃん〉って呼ぶんだぜ。勉強不足だったな…」
 消えた…煙のように。また、幻か。いったい、いつまでこんなことが続くん
だ?!

「シンクロー!」
やれやれ、今度は本物だろうな。
「シンクロ、もーっ、どこにいたの、探したんだから!!勝手にどっかに行っ
ちゃダメじゃないの〜 って、あれ?なによぅ、変な顔して。感動の再会じゃ
ないの!ひとりで怖かったんだから…もうちょっと喜んでもいいんじゃないの?
それにしても、ここって変なとこよね、iちゃんはいたし…」
「やっぱり、あの子に会ったのか。それで?」
「うん、なにか教え合いっこしようっていうんで、何聞こうか迷ってたら、
えへへ、お腹の虫が鳴っちゃって… そしたら、キルシェのチェリーパイの
あるところを教えてくれたの!それで、お腹いっぱい食べて、すっごく嬉しく
なって、そういえばこんど学校の近くにできた新しいケーキ屋さんのケーキも
食べてみたいなーって考えたら、本当にそのケーキが出てきたの!ショーケース
で見たのとそっくりなのが!…それで、さすがにおかしいなぁ、って思ったら、
消えちゃったの、全部。あれって、幻覚だったのね!!」
「…普通、チェリーパイの時点で気づくだろう。とりあえず、オリジナルみた
いだな。こんな間抜けなコピーを作れたら、大したもんだ」
「??そんなこと言ったって、本っ当お腹すいてたんだもん、おやつの途中で
呼び出されたんだし、ずーっと歩きまわったんだし、結局全然満腹にはならな
かったし…… えっ、なに、この手?」
「いいから、手、出せ」
 握手?といぶかしがりながら、ユイは手を差し出した。つないだ手の中で、
何かが… 伝わった。
「えーっ、なになに、これ!お腹の空いてたのが…なんだか、おさまったみた
い!なにしたの、シンクロ?」
「メモリーを少し分けたんだよ、〈プリズム・インストール〉の微量なやつだ。
雪山で遭難したときにも、分けてやったじゃないか」
 って、あの時は気絶してたんだっけ。これでとりあえず、食い意地の張った
幻覚を見ることはないだろう。
「ありがとうね。でも…だいじょうぶ?シンクロ、お腹空かない?」
「いいから、そんな心配してる場合じゃないぜ。IRがまた攻撃をしかけてく
るはずだ」
「IR?!これって、IRが起こしてることなの?ちょ、ちょっと待ってよ、
なんで剣を抜くの?IRを攻撃するつもり?!」
「幻覚を見ただろ、有能な〈インストーラー〉だからこその、リアルなもの
だった。この先、やつの感染が進めば、より強力な攻撃を仕掛けてくるはずだ。
離せ!いまここで手を打たないと、俺たちにまでバグルスが感染してくるぞ!」
「そんな…自分さえ助かれば、IRはどうなってもいいっていうの?!」
「自分じゃない、おまえのためだ!いいな、俺の攻撃で、IRのインストール
能力が弱まったら、このネットを抜け出すんだ、そして、このネットごと…」
 こちらをにらみつけてくる目…涙ぐんでいるのに、強い光が宿っている。
「そんなの、絶対イヤだから!」
「イヤとかどうとかいう問題じゃないだろ、ヤツを倒すか、こっちがやられる
か、どちらかしかないんだ!おまえが助かれば、他のネットへの感染が防げる
だろう、そうすれば…無駄にはならないんだ」
 真実…それは、おまえだから。おまえが存在していることが、俺の真実
だから。だが…それを伝える日は、永遠に来ることはないのだろう。
「…そういうとこ、ワンちゃんのときと、全然変わってないのね!どうして
どっちかしかないって思うの?どうして1か0かなんて決めるの?絶対に、
絶対に別の方法があるはずだもん。わたし…今までいろんなことたくさん経験
してきて…いまだって、本当のところ答えなんて、全然用意できないけど…
でも、〈諦める〉ってことだけは、してこなかった!」
 そう…確かに、そうだったよな。グロッサー事件のときも、バグルスのとき
も、いつも、苦しみながら、悩みながら、時には泣きながら…第三の答えを導
き出していた。力まかせだったり、思考に頼ったりじゃなかった。相手の気持
ちになって、相手の心にシンクロして…
「もし…もし、シンクロがIRを傷つけたりしたら… わたし、一生口きいて
あげないからね!」
 剣を持つ右手にしがみついて来やがった。振りほどくのは、わけない。
でも…いつもおまえは、俺の覚悟を鈍らせるよな。
「わかったよ。おいっ、空間が変化している。新しい世界がインストールされ
るぞ、気をつけろ!」

「あれっ?わらぶき屋根の水車小屋…な〜んか、日本の昔ばなしみたいな…」
「さっきより、空間がリアルになっている。バグルスの暴走が激しくなってい
るんだろう、IRのインストール能力が高まっている…」
 緑の山並みにかこまれた谷間の行き止まりに、木造平屋建て一軒家が見える。
かたわらには清らかな小川が流れ、水車をゆっくりと回していた。内部から、
うっすらと灯りがもれている。
「う〜ん、いかにもIRが好きそうな、渋〜い感じ… おじゃましま〜す」
「こらっ、わざわざ挨拶するやつがいるか!うわっ!!」
 丁寧な挨拶のおかげだったのか、囲炉裏からいきなり爆裂音が響いた。爆竹
を連発させたような…いや、栗がはぜた音だ!
「し、失礼しました〜って、うわっ、なにこれ、えっと、杵だっけ?」
「臼だ!屋根から落ちてきたってことは…」
「わかった、ここは『桃太郎』の世界ね!って、違う?やだ〜ウスでもキネで
もどっちでもいいから、とにかく追いかけて来ないでよ〜」
 二人は慌てて、奥の部屋に逃げ込んだ。そこには、機織の前でうつむいて、
シクシク泣いている女性が一人…
「…あなた方がお探しなのは、こんな顔ですか〜」
「きゃーっ、のっぺらぼう!そのうえ、ろくろっ首なの〜〜?!」
「なんだか、いろいろ混ざってるぞ…。とにかくいったん、外に出るんだ!」
 どういうわけか、家から飛び出してみたら、昼間になっていた。太陽が、
気持ちのいい光を浴びせてくる。
「無茶苦茶な世界だが、それなりに完成しつつある…早くなんとかしないと…
ユイ!その水桶のそばに寄るな!」
「えっ?うわわわ〜ハチの大群が襲ってきた〜なんか最近こんなのばっかり〜」
「俺の火の力を使えっ、〈プリズム・インストール!〉」

 シンクロの緑のコムコンから放たれた光を受け止め、火のエレメントスーツ
がダウンロードされる。紅蓮の炎が全身を覆い、真紅のスーツがユイを包み込
む。インカムと一体になったカチューシャや、袖口、スカートの裾に配された
白いラインが際立つデザインだ。ワンドは中央から伸びる長いスティック状と
なり、自在に炎を操ることができる。
「〈ファイアーエレメントスーツ、ダウンロード完了!〉
〈フレイム・ウォール!〉どうハチちゃんたち、これなら近寄れないでしょ!」
「だが、IRを見つけ出さない限り、一時しのぎにしかならない。この空間は、
あいつの力でインストールされたもの…もしかしたら、データをダウンロード
して、自分自身の姿も変化させているかもしれんぞ」
「えーっ、フォローみたいに?!そんなの、どうやって見つけ出せばいいのよ〜」
 ハチの数が増えてきている。このままこうしていても、埒が開かない…
「とにかく〈フレイム・ウォール〉で防御しながら、IRを探しに行け!家の
中はあの調子だからな、外から回り込め。ここは俺が食い止めておくから!」
 一瞬、ユイの表情にかげりがよぎった。一人で行くのが不安なのか、一人で
残していくのが心配なのか…どちらでも、かける言葉はひとつ、だ。
「IRの行動パターンをよく考えてみろ、おまえなら…必ずできる。さぁ!」
「う、うん…無理しないでね、すぐ行って来るから!」
 ユイが去った直後、ハチの群れは突然一体化し…牛ほどもある、巨大バチに
変化してしまった!
(コレクターが去った途端、変化した…おまえなのか、IR?だとしても…俺
は斬らねばならん。コムネットのためでも、自分のためでもなく…ただ一つの
目的のために… 許せ!!)
 レーザーソードの緑の光が、宙を舞った。

(IRの行動パターンって言われても… 確かに渋いわよね、好みが…
こういう、のどか〜な落ち着いたところで、の〜んびりお茶でもすすってそう
な…って、あの縁側に腰掛けてるおじいさんって?!)
 ユイの姿に気づき、慌てて逃げ出した、和服姿のおじいさん。やっぱり…!
「あっ、シンクロ!ちょうどよかった、はさみうちするわよ。火の力を使って
ちょうだい、わたしがイニシャライズするから!」
 さっきのハチは、IRではなかった。一応、羽根を狙って斬ったものの、
やはり仲間かもしれないものに刃を向けるのは、正直苦痛だった。でも、
今度は火攻め…?
「あちちちち… ひーっ、熱いでありまする〜」
(まるで『かちかち山』のタヌキだな…って、それどころじゃないぜ!)
〈コレクター・イニシャラーイズ!!〉
 山並みが、水車小屋が消え、オレンジに染まる〈黄昏の波止場ネット〉に
戻った。だが…

「IR…しっかりして、IR……」
 通常コムネットにヴァーチャル・インしたアクセス者は、いったんヴァー
チャル・アウトしなければ他のネットに移動することはできない。こうやって、
コムネット空間を鳥のように自在に飛ぶことができるのも、コレクターの特権
の一つだ。それにしても…いつもの何倍も、移動時間がかかっている気がする。
コントロルの力があれば…しかし、応答は無い。とにかくチャットルームに
戻るように、犬養博士が深刻な面持ちで指示したんだ。今はただ、コムネット
の無限の広がりの中を、飛び続けるしか…
 IRを抱きしめながら、涙ぐんでいるユイ。泣いている女の子が苦手なのは、
プログラム上のバグではなく、人間の男っていうのは、たいがいそういうもの
らしい。でも…俺はユイの涙って、嫌いじゃない。ユイが泣くときはいつも…
物事を、とても真剣にとらえているときだから。
「そういえば、例のiちゃんと取り引きした時…ユイ、なにを渡したんだ?」
「えっ?ああ、あの時…わたし、渡せるものなにも持ってなくて、だから…
ユイちゃんスマイル!をプレゼントしたの。そしたら、iちゃんも笑ってくれ
て…あの子の笑顔って、あんまり見たことないんもんね、得しちゃった!」
「だったら…笑顔が一番、必要だろう。今のIRにも」
 そっか…そうだよね、IR。どんなときでも、笑顔が一番、元気になるもん
ね。心配で、不安で、悲しくて…そんな時だからこそ、笑顔が必要なんだよね。
「…ユイ殿… ご迷惑をおかけするで、ありまする……」
「そんなこと心配しなくていいの!だいじょうぶなんだから、ねっ!」
 ユイの涙は…笑顔を取り戻したとき、紅潮して、潤んでいて、とびっきり、
暖かい。泣いたり怒ったりわめいたりした後ほど、おまえは…
「ほらIR、チャットルームに着いたわよ!あれ?誰もいない…」
「おい、どこ見てるんだよ。ボクを無視するなよ!!」
 そうはいっても、小柄なエコは、普通視界には入ってこないものだ。
「エコ…どうして誰もいないの?他のみんなは?」
「とにかく、IRを医務室に運ぶんだ、話はその後だ!あっ……」
 モニターの中で、司会者が緊張と高揚の面持ちで、しゃべり続けていた。

『さぁ、いよいよ待望の瞬間です!メイン会場にお集まりの方々、そして思い
思いのネットでお待ちの皆さん、いよいよ〈メモリアル・グロウ〉の開始です。
僭越ながら、カウントダウンさせていただきます…3・2・1・ゼロ!』

                           (04/08/30 掲載)
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