「私論中古カメラ」§2中古カメラに思うこと

先のページに引き続き、中古カメラに思うことを書いてみたい。なにか質問、意見などありましたらメール下さい。


目次


2.中古カメラに思うこと

私はカメラ・レンズほど機械モノとしての寿命が長い物の例を他に知らない。異常とも言えるほどの寿命を持っていると思う。  それも販売価格がそれほど高くないところが怖い、一般に販売されているモノはいくら高くても年収の倍数には届かないはず。 確かに自動車などにも中古は存在する。しかしこれは普通に使っていれば、長くても十数年ほどの寿命だと思う。一部のマニアたちの世界ではもっと長く、古い物もあるが、数から言ったら非常に少なく例外と考えても良さそうである。  新車で数百万の価格を付ける自動車が十数年ほどでその寿命を全うしてしまい、その間の中古品としての価値も年を経るごとに急速に下がっていくのに比べ、高々数十万のカメラ・レンズは数年〜数十年を経ても平然と中古品として流通している。 時計などと比べてみても機械モノとしてその性能を保つ期間は長い。例えば、四十年以上前に作られたニコンFというカメラは現役で使えるモノが多く残っているが、四十年前の時計を現役で使っている話はほとんど聞かない。 正に一生モノ、カメラとは不思議なモノである、この理屈を考えていると夜も眠れなくなる。

2−1.なぜ中古品なのか?

カメラに限らず、ブームというのは周期的にやってくるものらしいが…。今、なぜ中古カメラブームなのか? もっとも現在のカメラの殆どが、なぜか今ひとつ魅力に欠け(一つには全自動、AEAFなどの機能に圧倒され、使う楽しみがない、また、大量生産品としてモノとしての魅力に欠ける事も原因であると思う。少なくとも私に言わせて貰えばそうだ)ることもあり、従来の機械としてのカメラの魅力が見直されている面もあると思う。 この辺は、そのような製品にしてしまったカメラメーカーにも責任があると思うので、あれこれ詮索しても仕方がないのかも知れない。
 ただ、このところ一時期の魅力ある機械カメラだけがブームという訳ではなく、何でもかんでも中古という感じがしているのは私だけであろうか? なぜ、みんな中古品に走るのか? 訳もなく中古、中古と騒ぐのは、これまでに書いた理由から感心しない、というか止めて欲しい。 と、思いつつ、私なりに理由と意見を考えてみた。

2−1−1.単に金が無い

不況であるといわれている。普通に考えると金も無いはずである。金は無いけどカメラが欲しい、だから少しでも安い中古品に走るという考えが成り立つ。 ただ、生活する上でどうしても必要だというのならともかく、あくまで趣味的なモノを手に入れる訳であるならば、金が無ければ、身分不相応なことはするな! と、言いたい。 カメラなんて普通に考えて生活必需品だとは思えない、趣味や道楽には金がかかるのは当たり前。 どうしても欲しければ、それに代わる何かを犠牲にすべきである。でなければ金のかからない趣味を探せ、と。

2−1−2.そういう趣味

コレクション自体を趣味とする人がいる。これはこれで良いと思う。私もそれなりの財力があれば、カメラに限らず時計や模型などについて機種やモデルごとに系統立てて集めてみたいとも思う。 しかし、中古品を買い漁る事自体を趣味にしてしまうというのは…あまりいただけないように思う。安いモノ、珍しいモノなど、本人の必要性とは別にとにかく買う、そして飽きたら売るなど最悪…まぁ他人の趣味についてあれこれ口を挟むのは好きではないので止めておく。

2−1−3.なんか流行だから

巷に溢れる、その手の雑誌、書籍、電子媒体。それに影響されてか否か、特に訳もなく何となく流行っぽいから、みんな持っているから私も一つ…、等というのもあるのだろう。 こんな事で中古品の需要が増えると、あれこれ言われつつも、ある面ではそれなりにバランスのとれている新品と中古の需給バランスを壊すだけ。 始末に負えないし、モノに対しても失礼である、すぐに止めてほしい。 内容のくだらない雑誌などを出版したりして流行を煽る行為も同じ。

2−1−4.新品が存在しない

別に中古にこだわっている訳ではない、欲しいモノ、必要なモノの新品がこの世に存在しないのだ。という状況もあると思う。 私が中古に手を出す原因はこれである。新品があれば新品で欲しいが、無いものは仕方がない、次善の策である…という事である。結局は同じ事なのだが、微妙に違うと思う。 まぁ言い訳であるが、ここでは事の反論にあまり考慮しない。

2−2.中古品の価値

モノには全て何らかの価値があり、無価値というモノはそれほど存在しないのではないだろうか? 中古品の価値とは何か? 何らかの価値があるからこそ、それを欲しがる人がいる。欲しがる人がいれば、手放す人もいて、それぞれの対価として金銭のやり取りが行われ、それなりの市場が形成されていくのである。 前記のようにカメラ・レンズというものは長い間モノとしての価値を保ち続けている事が多い。しかし、すでに製造されていないもの以外は、新品に比べて何か特別な付加価値があるとは思えない。 製造されていないものに対する価値は、今となっては手に入れることが難しい「実物」「機能」などに求められるのだと考えるが、実はこれが単純なようでいて複雑、また重大なこと、そして、価値のほとんどを占める。と、思う。

2−2−1.モノとしての価値

例えばここに1台の古いカメラがあるとする、壊れていて実際の撮影には使えない。撮影に使えないカメラなんて、モノとしての価値は限りなくゼロに近いと考えられる。しかしこれが、ある高名なメーカーによって世界で50台だけ作られた特殊なモデルのうちの1台だとすると、恐らくその手の愛好者(コレクター)などの間に限ってはかなりの価値を持つモノとなる。 また、ある機種に非常に少数の別モデル(例えば色違い)があるとする。単なる色の違いであればモノとしての価値にはほとんど差がないはずであるが、これも、実際に取り引きされる場合にはその希少性が大きな価値を持つ。 ところが、記録的な大人気カメラでかなりの台数が世の中で活躍している機種が、数年で次世代機にモデルチェンジし、前機種を越える人気を博したする。 カメラとしてモノの価値は殆ど失われていなくとも、恐らくその取引価格は非常に安い。 カメラがカメラとして機能しなければ、アルミダイキャストやプラスティックの素材としての価値(ほぼ無いに等しい)位であろう。 機械は機械として性能が維持できる修理が可能な間はそれなりの価値を持つが、修理不能になったら価値はほぼゼロだと思う。 壊れてしまったら直せない機械に対して高い金を払うなんてことは馬鹿げた行為だと思う。 カメラを単なる機械だと考えれば、モノとしての価値なんてそんなもの。

2−2−2.個人的事情による価値

取り引きされる価格とそれ自体が持つモノの価値とは必ずしも一致しない。客観的な価値とは別に、個人的な事情による価値というものが存在する。例えば何の変哲もない壊れたカメラ。ものとしての価値は限りなくゼロである、当然価格も安い。しかしこれが肉親の形見だとしたら、また自分が非常に苦労して手に入れた思い出の品だとしたら、何かの記念の品だとしたら、それはその人にとって何物にも代え難い非常に大きな価値を持つものだと思う。 人が見向きもしないモノでも、自分が欲しければそれ相応の価値が存在すると考えられる。 

2−2−3.いわゆる相場

相場とは需要と供給のバランスから導き出された対価としての金銭価格である。当然、カメラの中古品にも当てはまる。 例えば、通常のニコン製品でみていると(なにをもって通常なのか難しいところであるが)、新製品が出て暫くは新品の実売価格より若干安い程度であり、やがて徐々に落ちていき製品のモデルチェンジとともに最低値に至る。やがて若干持ち直し傾向に移行し、新品価格の約半額程度で十分長い期間安定する。もっとも過去のF4などのように新製品として供給が追いつかなく、新品が買えない事態にあれば、中古といえどもプレミアム価格で新品定価以上の値が付くこともあり、そうかと思えば最近のF5などのように十分な供給量があり、対抗、代替機種となりえる機種が存在するなどの理由があれば、急速に値を下げていく物もある。またFやF2などのように投機的な対象となり得るとも思えるような値動きを示す物もあるので一概には言えない。最近は雑誌などで取り上げられると値が上がったりすることもあるが、基本的には需要と供給のバランスが支配するものだと考えたい。

2−2−4.最終判断は自分

いろいろな条件が絡むにせよ、カメラの中古品としての価値はそれなりに形成された相場に反映される。 しかし、中には相場が形成されないものもある。 いずれにせよ、最終的に行き着くのは、モノの対価としての金銭である。 需要が多く供給が少なければ高価に、逆なら安価に、モノ単体としての価値とは無関係に、単なるバランスで定まる。 それで良いか悪いかを判断するのは、結局は自分である。 自信と責任を持った判断が出来なければ、手を出さない方が良い。 中古品のカメラなんて、そんなものだ。


改訂:H12.1.31
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哲也くんのカメラ機材庫
2000.11.2
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