オートバイ 非日常の誘惑〜
私は往復が500キロを超えるようなツーリングに出掛けるときしばしば、夜半、夜中、夜明け前という太陽の出ていない時間帯に家を出発する。
それは、目的地での時間に余裕を持たせたいから、夜中の空いた道を走りたいからなどの理由があるからだった。口の悪い知人などは、「朝が早いのは歳をとった証拠。」などと言うが、こればっかりはここ数年来の習慣で身に付いてしまった物で仕方が無い。
しかし、この夜中出発型ツーリングには一歩間違うと致命的な事態を招く重大な欠点がある。もうお分かりだと思うがそれは、「睡眠不足による居眠り運転」を誘発する事だ。私も過去幾度となく居眠り運転を経験したが、幸いにして大きな事故には至っていない。
では何故、ここまで大きなリスクを背負ってまで夜中出発型ツーリングを性懲りも無く繰返すのか・・この理由を説明するには二十数年前に時を遡らなくてはならない。
高校一年、十六歳の夏のある日、私は国鉄(当時はJRではなかった)大阪駅の十一番ホームで発車を待つ青森行、寝台特急「日本海」の車中にいた。両親の郷里である秋田へ家族全員で帰省するためである。
中学時代、私はいわゆる鉄道少年で写真を撮ったり、車両の型式を憶えたり、意味も無くただ遠くへ行ってみたりする事が趣味で一時は本気で将来は、鉄道員になろうなんて考えてもいた。
そんな事もあって、今回の帰省はこの列車に乗れる事自体が嬉しかった。
さて、発車ベルが鳴り終わり軽いショックと共に列車がホームをゆっくりと滑り出した。ホームの人込みが切れるとパッと視界が開け阪神百貨店や阪急百貨店のネオンが目に飛び込んでくる。見慣れた大阪中心部のビルの灯りやネオンサインが速度を増しながら後方へ流れて行く。
この時私は軽い興奮状態になっていた。列車に乗れた嬉しさからだけではない、
なにかウキウキした気持ち。しかしその当時はそれが何であるかは知る由も無かった。それが解るには更に数年の月日がかかった。
数年の月日が流れたその日、私は本を読んでいた。何の本であったかは記憶に無いが(恐らくその内容から推して西村京太郎の鉄道サスペンスものでは?)、
あるページのその文節を読んだ時まさに目から鱗が落ちる思いがした。それは、
「見慣れた街がゆっくりと流れ出した。日常から非日常への旅立ちであった・・」
と言うような内容であったと思う。そうか、あの時俺が感じてたのは非日常的なシチュエーションに対する興奮やったんや・・・。
草木も眠る丑三つ時にバイクを走らせた事がありますか?。そこには昼間見る事の出来ない非日常の世界が広がっています。勿論、暗いので景色などは良く見える筈がありません。ところが走っているうちに景色が見えてくるのです。
目で見る景色ではありません。頭の中、心の中に景色が浮かんでくるのです。
これは口や文章で説明されるよりも経験した方が良いでしょう。但し、余りに
その空想の景色に浸っているといつの間にか深い眠りに誘われてしまうので充分に注意しましょう。
嗚呼、また非日常の世界が私を誘惑する・・・・。