21の夏 〜北の大地へ
1982年・・・当時私は21歳。某四輪デーラーのメカニックとして入社し2回目の夏を迎えていた。四輪メカニックでありながらそれよりも二輪の方が好きで、実際社内でもバイク好きで知られていた。
そろそろ会社の様子もそれなりに分かってくると、気持ちに余裕が生まれる。そこへ持ってきて、ある程度自分の自由になる蓄えが出来ると、今までできなかった事をやってやろうという気持ちが湧いてきた。
そこで出て来たのが、当時は今ほどメジャーではなかった「北海道バイクツーリング」計画だった。
同行者は2名。同期入社でこれまたバイク好き(しばらくバイクから離れていたが私がバイクに乗っているのを見て再び乗り出した)な「A」。コイツはYAMAHAの4発400tの元祖とでも言うべきバイク、XJ400。
このバイクそこそこに重量感もあり、音も独特の4発サウンドでオンロード嫌いの私でも(当時)、これなら許せると思うほどのモノだった。
もう一人は、つい最近まで「A」の彼女だった「Y子」。バイクは「A」に教えられた。「Y子」は同学年だが入社は我々より1年早いので一応先輩社員である。「Y子」の愛車はKAWASAKI AR50。細身でカマキリのような(実際ライムグリーンカラーはカマキリそっくりだった。彼女は赤)50ccロードスポーツ。とは言え、頑張ったところで50cc。本当に付いてくるの?と出発するまで不安だった。
女独り男二人に混じって原付で北海道まで行こうと言うのであるから、負けん気の強さは男以上か?。(そんなY子でもさすがに御両親にはとても本当の事は言えなかった様で、適当なウソを並べて家を出てきたようだった。)
私は当時125ccの信奉者で(維持費が安い。軽い。オフロード遊びするならお手軽。)HONDAのXL125Rというオフロードバイクに乗っていた。
エンジンを170tにボアアップしたり、タイヤをよりオフロード指向の物に交換したり、輸出仕様の軽量タイプなヘッドライトを付けたり・・・と結構あちらこちらをさわりまくっていた。
ノーマルのバイクなんてカッコ悪くて乗れるかと思っていたので・・。今想うと、まったく若気の至りであった。
実は同行の二人に隠している事がひとつあった。それは今回のツーリングで私が楽しみにしている事のひとつ、北海道のダート(未舗装路等)を走るという事。同行の二人は根っからのオンロード党。「A」に至っては大のオフロード嫌いときている。
そんなことだから、コースの途中にダートが在るなどと言おうものなら即コース変更を命じられるに決まっている。(実際、当時の北海道には国道クラスの道でも結構ダート区間があった。札幌から帯広へ抜ける274号線の日勝峠はその前後は勿論、日勝トンネル内も未舗装だった。)
しかし幸いな事に「A」も「Y子」も今回のツーリングのプランニングに関しては、殆どノータッチ。まるでパックツアーにでも行くようなノリなので、私がすべての行程を計画した。
それでも「A」もさすがに気に懸かったのか、「タケ、このコース ダートはないんやろな・・・。」と、念をおしてきた。私は間髪をいれずに答えた 「アホッ! 北海道やぞ そんなモンあるわけないやんケ!。」このひと言に「A」は納得した様子だった・・・・。
旅行(ツーリングも含めて)その物も確かに楽しいが、私にとっては計画をあれこれと練っている時の方が想像が膨らんで楽しい気がする。旅行は始まってしまえばその終点に向かってスケジュールをこなしていかなくてはならなくなるから、ある意味「苦痛」を伴う。(それも旅行の良さの一つだろうが。)
しかし計画であれば何度でもスタートし直しが出来るし、面白くなさそうな所はすっ飛ばす事が出来る。だから自由な旅行に出ようとする時、計画を人任せにする人はその時点で旅行の楽しみの半分(あるいはそれ以上?)を自ら棄ててしまっていると私は思う。
実にもったいない話である。
8月12日、出発の日である。西宮市の私の実家に集合。同期入社の「T」がわざわざ見送りに来る。出発前、みんなで記念撮影。この日は夏らしい暑い日だったと記憶している
176・175・27の各国道を経由して舞鶴港へ。到着したのは西の空が少し茜色に染まり始めた時分だった。小樽行きのフェリー埠頭には我々がバイク組としては一番乗り。22時の出船まではまだしばらく時間があった。
市街へ出て早い夕食と船内での食料を調達する。再び埠頭へ戻るとバイク組が十数台に増えていた。このあたりでようやく、北海道へ行くのだと言う実感が湧いてきた。
乗船開始となり周囲がにわかに慌しい動きを見せる。バイクや自転車は急勾配のスロープを登って船腹から乗船する。そういえばこのスロープの途中で、「Y子」がエンストしてたっけ・・・。
今までこんなに大きな船には乗った事がなかったので、見る物全てが珍しかった。予約してあった二等寝台客室に荷物を置き出船までの間、船内を探索した。
22時、上甲板デッキで暗い舞鶴港にしばしの別れを告げる。次にこの港の景色を見るときは、北海道ツーリングが終わるとき。そう想うと気持ちが少し切なくなった。
翌13日は終日船内にて暇をつぶす。「A」は大の船嫌いで(勿論、船酔いするので・・・)、本人もかなり緊張していたが思ったほど揺れが無かったので調子はイイようだった。
この日デッキで撮った数枚のスナップを見ていると、若いという事は掛け値なしに素晴らしいものだと思える。こんな事を感じるのも歳をとった証拠か・・・。
14日午前5時、小樽港到着。弱い雨が降っていたように思う(記憶が定かでない)。「小樽の女」(昭和40年代の歌謡曲)が埠頭全体にBGMとして流れていたのが印象に残っている。
とうとうやって来ました、北の大地 北海道へ。 デッカイどー!ほっかいどー!。(当時はこのフレーズがナウかった。)
今日の行程は、小樽―札幌〜R274(日勝峠)―帯広〜R241・R273―糠平湖泊。
札幌を出てほどなく、土砂降りの雨に遭う。真夏と言えどもここは北海道、みるみるうちに気温は下がり体温が奪われていく。さすがに気象変化も大陸的と言うべきか・・・。
上陸一日目にして私の信用が地に落ちた。と言うのも例のダートの件。R274の途中には地図にもハッキリと「通行不能」として表示してある区間が連続で20数キロほどあった。
ダート入り口で地図がおかしいなどと、とぼけてみたがこれだけダートが続けば普通の奴なら怒り出す。案の定「A」と「Y子」は文句を言い出した。「話が違う」、「転けたらどうしてくれる」「この先は大丈夫か」云々・・・・。
「ヤカマシイワイッ!計画を人任せにしたオマエらが悪いんじゃいっ!」と言ってやろうと思ったが、「おかしいなぁ・・地図にはダートなんて載ってないんやけどなぁ・・。まぁ もうチョッと辛抱して〜な。」昔から小心者の私であった。
さてこの辺から私の記憶は、かなり曖昧になってくる。なにせ、およそ18年前の事である。18才の人間が自分の1才の時の出来事を鮮明に覚えているだろうか。(チョッと 違う?)
ここからは当時のスナップ写真を見ながら、断片的に思い出した事をお話しする。
糠平では湖畔の大雪グランドホテルに宿泊。ここでの事は何一つ憶えていない。ツーリング一日目ということで緊張していたのだろうか。ここで同じ会社の「K」氏と合流し、明日早朝に近くのダートコースを走る事を約束する。
「K」氏も根っからのバイクフリークで、北海道へは数回来ていて今回も我々よりも数日早くこちらへ来ていた。
翌15日早朝、熟睡中の「A」と「Y子」を起こさぬようホテルの部屋を出る。「K」氏はホテルの前で待っていた(と、思う)。「K」氏のバイクはホンダXL400。一度乗せてもらった事があるが、欲しいとき欲しいだけのパワーが出せる面白いバイクだったと記憶している。
糠平周辺のバラスを敷きつめたフラットで非常に走りやすいダートを数十キロすっ飛ばす。あのペースであれだけの距離を楽しめたのは、後にも先にもこの時が最後だった。
ダート走行を堪能したのち、お互いの旅の安全を祈りつつ「K」氏と別れる。
今日15日の行程は糠平―然別湖〜R241―足寄―阿寒湖〜R243―屈斜路湖―美幌 泊。
いまだに「A」とこの話をするとしばらく笑いが止まらなくなる出来事は、然別湖へ向かう道中で起きた。前述のように道内にはまだまだ未舗装の区間が多くあって、きれいな舗装路がいきなり砂利道!なんてことが度々起こる。
私のバイクはオフロードタイプなので、ある程度路面の変化に対応できるが「A」と「Y子」はロードタイプである上に、大のオフロード嫌いときているから未舗装路を見たとたん身体が固まってしまい、亀の子状態になる。
そこで、私が先頭に立つとどうしてもペースが上がってしまうので、思い切って「Y子」に先頭を走らせる事にした。しばらく山間部のワインディングを気持ちよく流す。これで「もしかしたら、この先にダート?」なんて緊張感が吹っ飛んでしまったようだ。
それは、ある右コーナーで起きていた(残念ながら決定的瞬間を私は見ていない)。私がそのコーナーにさしかかった時、二人はコーナー半ばの道端に佇んでいた。「A」の話によると、連続するコーナーを「Y子」が快走していたが左コーナーを立ち上がって、さて右コーナー・・・
「アレッ!ほ・ほ・舗装が切れてる・・・・」・・・時すでに遅し、「Y子」はスリップダウン。バンザイの格好でヘルメットを地面にこすりつけながら滑走し止まった(いわゆる、顔面制動ってやつ)。
しかし運の強い奴で、怪我らしい怪我も無くバイクも走行に支障のあるような損傷は無かった。無事(本人にしてみれば全然無事ではないだろうが・・・)であることが判ると猛烈に可笑しさが込み上げてきた。
転倒した格好を想像すると笑えて笑えて、涙が出るほど「A」と笑った。勿論「Y子」は、横で膨れっ面をしていた。膨れるぐらい元気があれば大丈夫。気を取り直して出発!。
然別湖・阿寒湖・摩周湖・屈斜路湖は、本土と変らぬ観光地なので特に何てことはなかったように思う。そうそう、足寄では当時人気上昇中の松山千春の生家前を通ったっけ。
「Y子」のバンザイ転倒と並んで強烈に印象に残っているのが、屈斜路湖から美幌にかけての「霧」。バイクに乗り始めてからあんなに凄い霧に包まれたのは初めてだった。既に日は落ちて真っ暗、街路灯なんて気の利いたものなんて無いので本当に真っ暗。そこに特濃の霧がかかったもんで目の前、真っ白。目の前には、後ろから照らされて出来た自分の大きな影。自分が真っ直ぐに走っているのか斜めになっているのか全く感覚がつかめない。
ちょうど、いきなり真っ暗なトンネルに入って闇に眼が慣れるまでのあの感覚に似ていると思う。しかしトンネルはストレートが多いので取り敢えずハンドルを真っ直ぐにキープしていれば事なきを得るが、ここは地図にも「美幌峠」と明記されているワインディングロード。コースアウトする事無く、泊地の美幌に到着できたのは奇跡に近い!?。
16日は 美幌〜R39―層雲峡―旭川を走る。層雲峡も観光化されているのであんなモン。この日はムチャクチャに暑かった。ココはドコ?、まるで赤道直下のような(行った事ナイケド)暑さ。憶えてるのはこれだけ。
旭川の手前に比布町(ぴっぷちょう)という所があって、当時ピップエレキバンが流行っていた?ので国鉄(当時)比布駅に立ち寄り記念写真を撮ったりした(今思えば、あの頃から流行りモノは結構しっかり押さえる習性?があったようだ)。
ペースが速くなって17日。今日はR12で、恋の街 札幌〜へ。札幌では、時計台・大通り公園・すすきの・サッポロビール園等々・・市内観光をする。ビール園で飲んだタダのビールは美味かった。(このあとしばらくは、サッポロビールしか飲まなくなってしまった。)
さて、ここは恋の街、札幌(くどいっ!)。そのセイかどうかは判らないが、ここに私の人生の大きな分岐点があった。それは・・・・やめとこ・・・・。
18日は小樽へ移動してゆっくり休む。街の山手でテレビの人気番組と同名の「ひょうきん族」という喫茶店を発見。ここから会社へ、フェリーに乗れなくなったので出勤はもう1日遅れますとウソ見え見えの電話を入れる。
盆明けは今日から。休暇は20日金曜日まで申請してあったが、本当は舞鶴着は21日土曜日の朝6時。その足で出勤する訳にも行かないので休むと、盆入り12日から22日まで11日間も休む事になる。
車会社という事もあってか、旅行などには結構理解があったとは言え入社2年目で盆休みプラス4日の休暇をくれとは、とてもとても言えません。そこで事後承諾という強硬手段にでた訳。
19日、いよいよ今日は北海道をあとにする日。フェリー出船は19時。近場を散策したりしてなんとなく時間を過ごすが、3人共元気がなく沈みがち。旅行の疲れもあったがそれ以上に、北海道を離れる寂しさがそうさせていたと思う。
18時すぎ、船上の人となる。デッキに出て小樽の街をボ〜ッと眺める。船のエンジン音が高くなり大きな船体がゆっくりと岸壁を離れる。3人共、街を見つめたまま何も喋らない・・・。それぞれにこの8日間を頭の中に思い浮かべていたのだと思う。
誰からともなく手を差し出してお互い握り合っていた。「A」がこのシュチエーションで思わず涙ポロリ物のひと言を呟いた。「絶対、また来ようぜ」・・・と。普段なら臭く聞こえる台詞だがこの時ばかりはジーンときたっけ。
小樽の街が小さくなるまで3人はデッキを離れなかった。
20日は虚脱状態で1日中船の中。
21日朝6時、舞鶴着。9日前ここを出発したのがついさっきのように思える。身支度を整え車輌デッキへ。ここでトラブル発生!。私のバイクのリヤタイヤがペシャンコ・・・。バイクを押しながらの情けない下船となってしまった。「A」が応急パンク修理剤を持っていたので取り敢えず走行可能な状態にできた。
舞鶴から自宅までどうやって帰ったかは全く憶えていない。時間さえも憶えていない。しかし、週明け会社でどんな言い訳をしようかと考えていたであろう事は、想像に難くない。
さて、以上が18年前の北海道ツーリングの顛末でしたが、なんと言っても18年の年月は埋めがたく、かなりの部分で記憶が欠落しツーリング記録としては甚だお恥ずかしい限りではあります。
若さに任せた結構無茶なツーリングだったかもしれません。しかし今こうやって改めて思い出してみると、あの頃だからこそできた事なのだと思います。バイクは若者のオモチャ的に見られがちですが、年齢相応の楽しみ方を見つければ一生モノの趣味だと考えていますし、また、そう生きたいと願っています。
みなさんも、ゆっくりと永くバイクとつきあいませんか・・・。
恋の街 札幌の件ですが(しつこいっ!)聞きたい?・・・。それじゃぁお話しましょう。
それは札幌の駅前にあるセンチュリーロイヤルホテル!(贅沢ッ)での事。夜も更けて「A」も「Y子」もぐっすりと眠った頃、私は妙に目が冴えて眠れずにいました。疲れて口を開けて寝ている「Y子」を見ているとムラムラ・・・・違う違う、「Y子」のことがいじらしく、いとおしく思えてきたんです。
今まで「A」との事などでいろいろ相談を持ち掛けられたりはしていましたが、それでも親友「A」の元彼女ですから特別な感情は持っていませんでした。でもこの時はっきりと自分の気持ちが変るのを感じました。
よくあるパターンではありますが、それが恋の街 札幌(モーええっちゅうねん!)でおこったということに何か運命的なものを感じませんか?(感じない?・・アッそう・・)。帰りのフェリーの船上で小樽の街を見つめている時、はじめて自分から「Y子」の手を握りました(キャーッ!)。
これから約1年半後、私と「Y子」は同じ姓となって再び北海道を訪れたのでした。もちろん親友の「A」は抜きで・・・・。
その後、「Y子」とは10数年の縁で今はシングルの生活をそれなりに楽しんでいますが、そんなこんなで、やはり北海道は私にとって特別の地なのです。