=卒業文集(2002年3月)=
連続と不連続
連続と不連続は、数学で重要な概念とされている。どうやら、この概念については、昔から様々な議論が行われているようである。数学は人生の縮図であると言われることがある。この観点からすると、人生における連続と不連続について考察するのも面白いであろう。卒業を例として考えてみよう。
卒業における連続性とは、「卒業前の自分」と「卒業後の自分」の同一性の問題である。卒業したからといって全く別人になることは考えられない。むろん、一日分の発達はあるから、全く同じであるとも言えない。とはいえ、連続しているからこそ友達との会話も成立することは自明のことであろう。
では、卒業の前後で何も変わらないのなら、不連続を象徴する「卒業式」の意味はなくなるのではないだろうか。これも、難しいところである。確かに、卒業すれば、制服を着てこなくても、自動二輪や自動車を運転しても叱られない。この点では、不連続なのである。
さて、このように考えてくると、卒業には連続性もあり、不連続性もあることが分かる。実は、数学でも同様である。従来は、連続と不連続は自明のことのように考えられ、区別されていた。しかし、最近、連続と不連続の中間的なものの存在が学問的に考えられるようになっている。たとえば、ファジーとかカオスという言葉を聞いたことはないだろうか(これらは、数学的には連続や不連続とは異なる概念ではあるが、私はイメージ的に同列であると感じているので例示した)。
数学の世界でも発展がある。ましてや、人生は常に発展や成長の連続である。そして、時折、区切りとして卒業式のような行事があり、あえて不連続を装うことで発展や成長を確認しようとするのである。高校三年間の区切り(=卒業式)にあたり、高校入学以降の三年間の発展や成長を確認してみよう。きっと、大幅な不連続を確認できることだろう。そして、次の区切りに向けて、新たな連続と不連続を期待したいと思う。