誘
街道を往く
中山道 朝鮮人街道 中仙道は、東海道に対して古くは東山道と呼ばれ、奈良時代の大化の改新以前から存在する重要な道でありました。
江戸時代には幕府直轄主要道路五街道のひとつでありました。江戸から京都まで69次、約135里(1人は4km)と東海道53次の約126里より9里長く、山の中を多く通る街道でした。
安町内を通るこの街道は、現在は生活道路となっていますが、野洲川から行畑・小篠原・三ツ坂・桜生・辻町にかけての沿道は、昔ながらの風情が残っています。江戸時代(1607年)から約200年間に12回、徳川家の慶事や将軍の代替わりに慶祝の意をこめて、朝鮮通信使一行が文化使節団として来日しました。一行は1回あたり約300から500人といわれにぎやかに来日しました。朝鮮通信使一行は、東海道を通り草津から中山道を経て、野洲町に入りました。そして、野洲町で中山道と分岐し、近江八幡、安土を通り彦根の鳥居本で、再び中山道と合流し、江戸へ向かいました。
この野洲町から彦根鳥居本までの街道約40kmを、朝鮮通信使一行が通ったことから朝鮮人街道と呼ばれています。
野洲小学校前の中山道の標識