乃木は無能か?

 

1 ミスをしたのは乃木だけか

 歴史の知識のある日本人に、陸軍大将伯爵乃木希典をどう思うかと尋ねれば、一〇人に九人まで(もっと多いかもしれない)は「無能だと思う」と答えるのではないでしょうか。
 最近、乃木について書かれた媒体の異なる(インターネット、パソコン通信、同人誌、一般書籍)文章を幾つか目にする機会があったのですが、それが全て「乃木は無能」とするものでした。(サンケイ新聞連載中の「坂の上の雲」は言わずもがなでしょう。)

 本当に、乃木は無能だったのでしょうか?

 確かに、旅順要塞攻略戦における乃木の采配には問題がありました。しかし、旅順要塞攻略戦において、ミスを犯したのは乃木だけではありません。大本営にしても、旅順要塞攻略の立役者とされている児玉にしても、同じように重大なミスを犯しています。

 そういった点には触れずに、乃木の失敗(しかも、中には「事実でない失敗」もあります)のみを挙げつらい、乃木を「無能」呼ばわりをする傾向があるように思えます。

 例えば、大本営は、当初、旅順要塞の強度を非常に軽視し、第三軍の「正攻準備の一部」が未完で、その結果「多くの犠牲を生じ」るとしても、攻撃は「神速」「を要する」(機密・二〇一)として、第三軍の攻城準備がまだ整わない状況での攻撃開始を要求しています。
 大本営がどれほど旅順要塞を軽く見ていたかは、旅順要塞の攻撃開始の遙か前、要塞の「前進陣地すらもまだ取らぬ」うちに、旅順要塞の降伏「開城の準備」をし、早々と「鹵獲兵器処分所」を開設したことからも明らかです。
 大本営は、旅順要塞を「鐙袖一触」で「占領」できると「思っ」ていたのです。(機密日露戦史(以下「機密」と略称)・二〇〇)

 第三軍は、満洲軍と協議の上、この大本営の無謀な要求を実質的に拒絶します。これが、大本営と第三軍及び満洲軍の衝突の発端になりますが、この時点では、第三軍及び満洲軍の方が、大本営より、旅順要塞に関して的確な判断を下していたのです。

 従って、第三軍だけが、旅順要塞を軽視していたという「坂の上の雲」等の批判は、事実ではありません。
(誤解のないように付け加えておきますが、ここで「坂の上の雲」を批判する積りは全くありません。「坂の上の雲」は小説です。小説に事実でないことが書かれていているのは当然のことです。問題は、小説の記述をそのまま信じる読者の方にあります。)

 同様に、第三軍が、旅順要塞に対して、ただただ歩兵を突撃させたという批判(たまに見ます、これは「坂の上の雲」で第一回総攻撃の記述に、準備砲撃の描写が省略されているためではないかと思われます。)も事実ではありません。
 第一回総攻撃は、八月一九日、総数三百八十門もの大砲兵団による準備砲撃から始ります。第一回総攻撃の期間、旅順要塞に打込まれた砲弾の総数は一一万七千発以上に及びます。

 旅順要塞に強襲をかけたことを問題とする意見もありますが、大本営も、満洲軍もそろって旅順要塞の早期攻略を要求している(前述のように、大本営に至っては、強襲ですら、準備に時間がかかるとして反対していたほどです。)状況下で、時間のかかる正攻法は取り得ません。
 あの時点では、誰であれ、強襲法を採用せざるを得ません。

 旅順要塞の東正面を攻撃したことを問題とする意見もありますが、要塞の東正面を攻撃することは、満洲軍、すなわち児玉も承認しておりました。大本営だけが西正面への攻撃を主張しています(但し「機密日露戦史」による、「参謀本部編纂日露戦史」、「日露陸戦新史」には大本営が西正面への攻撃を主張したという記載はない。)が、これは、「敵の城塞設備も能くは分らぬが、此〔西〕方面は薄弱に相違ない。」(機密・二〇〇〔 〕内筆者注記以下同様)という想像に基づくものでした。
 実際には、西正面には、重層した堅固な前進陣地(二〇三高地もその一つ)が存在し、その背後に要塞本体が存在していました。ここに、砲兵の援護を伴わない歩兵の白兵突撃(「奇襲」といえば聞えはいいのですが、砲兵の支援が受けない歩兵単独の攻撃といえば、そういうことです。)をかけたところで、大損害を出して撃退されるだけです。
 事実、第一回、第二回総攻撃において、砲兵の援護の下で、第一師団が、西正面の前進陣地群を攻撃していますが、苦戦の連続で、多大な損害を出しています。
 従って、大本営の「此〔西〕方面は薄弱に相違ない。」という予想は誤りであり、西正面を攻撃しても、失敗したであろう事は間違い有りません。

 第一回総攻撃において、乃木が前線の状況の把握を怠ったという批判もありますが、これも事実ではありません。
 実質的な総攻撃開始日の八月二一日には、第三軍司令部は、戦線近くの団子山北高地へ進出し、状況の把握を行っています。
 二四日も、第三軍司令部は、団子山北高地へ進出し、そこで前夜の望台攻撃が失敗したことを確認しています。更に午前中に実施した望台再攻撃も失敗し、第十一師団長土屋中将から、現状のままではもはや攻撃の継続は不可能との報告が届くにいたり、攻撃中止を決定しています。
 乃木が前線の状況を把握していなかったという証拠はありません。

 「坂の上の雲」に書かれているように、一戸少将が、二四日に再度の望台攻撃を具申したかどうかは、資料に出ておらず確認できません。
 しかし、第一一師団長土屋中将からの攻撃の継続は不可能との報告や、第一一師団の大隊長で、二四日の日中、望台への突撃命令を受けて、盤龍山東堡壘へ向かった志岐中将(当時大尉)の証言を読む限り、この時点で、望台を再攻撃したところで、成功したとは考えにくく、乃木の攻撃中止の判断は妥当であったと言わざるを得ません。

 第一回総攻撃に関する限り、乃木には、重大な落度はありません。また、第一回総攻撃失敗後、旅順要塞の攻撃法を、正攻法に変えるに当たり、乃木は主導的な役割を果たしています。


2 二〇三高地をめぐる誤解

 さて、問題の二〇三高地ですが、二〇三高地が、第一回総攻撃失敗以前に、主要な攻撃目標として検討されていたという記録は、「参謀本部編纂日露戦史」、「日露陸戦新史」、「機密日露戦史」のいずれにもありません。
 また、旅順要塞に対する当初の日本軍の見方から言っても、第一回総攻撃失敗以前に、二〇三高地が、主要な攻撃目標ととして検討されていたとは考えられません。二〇三高地が、主要な攻撃目標として認識されたのは、明らかに、第一回総攻撃失敗以後のことです。
 第三軍は、第二回総攻撃において、二〇三高地を攻撃目標として選定していましたから、この点に関して、特に批判されるべき落度はありません。
 
 「坂の上の雲」では、第二回総攻撃の時点では、二〇三高地の防備が極めて軽易であったとされていますが、実際には、第二回総攻撃の時点で既に、二〇三高地の山頂には砲台が、山頂と山腹に散兵壕が存在しており、簡単に落ちるような貧弱な拠点ではありませんでした。第一師団は、山腹の散兵壕の占領には成功したものの、山頂の散兵壕を攻めあぐねているうちにロシア軍の逆襲を受けて撃退されています。

 従って、第二回総攻撃において、二〇三高地を攻撃しておきながら、抵抗が激しいためにこれを中止した点については、評価の難しいところでしょう。

 確かに、この時、第一師団の全力を投じていれば、二〇三高地を陥落させられる可能性はありました。

 しかし、第三軍が、二〇三高地「のみを領有したりとて要塞は陥落するもの」ではない上、周辺の「松樹山、椅子山の攻撃を如何にするやの問題」があり、「第一回総攻撃の直後にして、わが軍の第一線はすでに盤龍山方面に於て敵の外壕に到達しある現況に於ては、今一呼吸の所なるを以て此攻撃の再興を欲するは当然とする所なり」(機密・二〇六、第三軍井上参謀談話)という理由で、攻撃を中止したことは、それなりの合理性があります。
 第二回総攻撃の時点で、二〇三高地を徹底して攻撃しなかったのは「根本に於て相互意見の相違であって、何れを不可なりと軽卒に論断することはできないだろう」(機密・二〇六)という評価が妥当なところでしょう。

 問題は、第三軍が、既に二回失敗しているにも係わらず、第三回総攻撃においても、要塞への正面攻撃に固執したことでしょう。
 大本営ならずとも「既に鉄壁下に二万余人を埋めて見れば、何とか攻撃の方法を考えそうなものである」(機密・二一六)と思わざるをえません。しかし、頭の固さでは、満洲軍も同様でした。


 第三回総攻撃の直前の十一月九日、大本営は、満洲軍に宛てて、第三軍に二〇三高地攻撃を命じるように求める内容の電報を送っています。これに対する返事は、早くも翌十日の午前三時頃に、大本営に到着しました。
 要旨は「第三軍をして現在の計画に従い、その攻撃を鋭意果敢に実行せしむるを最捷径とす」(機密・二一六)でした。つまり、要塞の正面攻撃が最善の手段だと言っている訳です。

 満洲軍は「第三軍の見込と同一にして正面鉄壁主義」で「二〇三高地の真価値を見出し得ざることも第三軍司令部と同一」、更には「二十八サンチ砲」「の威力は平時に於て予期したる如くならず。従って二〇三高地を占領し茲に観測点を置いても、たいしたことではあるまいから、二〇三には助攻撃を向くる位にて沢山であろう」(機密・二一六)とまで言っています。

 二〇三高地を軽視したが故に、乃木が無能と呼ばれるのであれば、同じように、二〇三高地を軽視した児玉もまた無能と呼ばざるを得ません。
 しかし、二〇三高地を軽視したが故に、乃木を無能とする論者の多くは、知って知らずか、児玉も乃木と同様に、二〇三高地を軽視したことには触れていません。
(「坂の上の雲」は、第三軍のみが、正面攻撃に固執したかのような記述をしていますが、それは、前述のように事実ではありません。)


3 乃木は有能だったのか
 
 ここまで読まれた方は、今度は、通説とは逆に、本当は、乃木は有能だったのではないかという疑問が生じてくるかもしれません。

 結論から先に述べれば、乃木は有能とは言えません。

 乃木は、第三回総攻撃の際、中村少将の提案を受け、周囲の反対を押し切り、各師団から一個大隊を引き抜き、「特別支隊」、いわゆる「白襷隊」を編成します。
 「白襷隊」任務は「敵の不意に乗じ要塞内に進入し、敵の防禦線を両断し、以て要塞の陥落を速かならしむる」という虫のいい代物もので、要塞に入るために、苦戦を続けているという現状を完全に無視しています。
 「敵の不意に乗じ要塞内に進入」できるものなら、旅順要塞は第一回総攻撃の時点で落とせます。それが出来ないからこそ、第三軍は多大な損害を出して、苦戦しているのです。
 こんな、現状を無視した、願望(妄想といってもよい)に基礎を置いた部隊の編成を、関係者がこぞって反対したのは当然です。にも係わらず、乃木は、周囲の全ての反対を押し切って「白襷隊」を編成しました。

 この一点だけ見ても、乃木は、到底有能とは言えません。しかし、これだけなら、当時、乃木に掛かっていた凄まじいプレッシャーため、藁をもすがる精神状態になって、一時的に判断が狂ったと考えられなくもありません。
 しかし、「白襷隊」をめぐる問題は、編成だけではありません。

 「白襷隊」のような寄せ集め部隊を戦力として活用するためには、事前に部隊を集めて充分な訓練をする必要があります。
 しかし、特別支隊はそういった合同訓練を全く実施していません。そればかりか、指揮官クラスですら、一度も会合を開いていないのです。

 何かのイベントを行う際、それを実行する組織がリハーサルはおろか、唯の一度も事前の打ち合わせを行わないとしたら、そのイベントが成功する可能性は極めて低くなるでしょう。ましてや、戦場という過酷な条件下では、これは失敗を約束されたようなものです。

 無論、こういった訓練等は、直接的には参謀あるいは、部隊長の任務であり、乃木の責任ではないという議論も成り立ちますが、部下の管理は上司の義務です。それをおこたれば、上司とて問題があると言わざるを得ません。
 まして「白襷隊」は、周囲の反対を押し切り、自己の意志で編成したわけですから、当該部隊の状況については充分な注意を払うのは当然のことでしょう。
 
 ところが、乃木は、編成後の「白襷隊」に対して殆ど注意を払った形跡がありません。編成はしたものの、そのままほったらかしていたとしか思えないのです。

 例えば、「白襷隊」を構成する各大隊は攻撃命令を受けてから、攻撃開始陣地へ移動する(つまり、事前に集合して、待機している訳ではないのです)のですがこの時、旅順についたばかりで地理に暗い第七師団は、道に迷い集合時間に遅れてしまいます。このため、「白襷隊」は第七師団抜きで出撃せざるを得なくなります。
 地図も無しに、明かりのない夜間、不慣れな場所を移動する訳ですから、地理に暗い、第七師団が迷う可能性があるというより、まず確実に迷うだろうことは容易に検討が付きます。実際、第七師団が道に迷って遅れることは危惧されていたにも係わらず、何の対策も講じられませんでした。
 どう見ても、ほったらかしにされていたとしか思えません。こんな、状況に置かれたのでは、「白襷隊」の攻撃が成功する訳はありません。

 以上述べたように、周囲の反対を押し切って「白襷隊」を編成したこと、「白襷隊」を編成したにもかかわらず、「白襷隊」が成功するために何の配慮もしなかったこと、部下の監督が不十分なこと、これらの点から言って、乃木は決して有能な指揮官ではありませんでした。


4 結論
 
 長々と書いてきましたが、ここで結論を述べましょう、乃木は、言われているような無能ではありませんでした。
 しかし、決して、有能でもありませんでした。

 乃木は、指揮官としては、ごく普通の能力しか持っていませんでした。

 乃木の、そして日本の不幸は、普通の能力しか持ち合わせていない軍人に、旅順要塞という東洋最大最強の要塞を、それが最大最強であることさえ知らずに、ろくな支援を与えることなく、攻撃させたことにあります。
 旅順の苦戦の責任は間違いなく乃木にもあります。しかし全ての責任が乃木にあるわけではないのです。今の乃木に対する一般的な評価は、あまりにも不当と言わざるを得ません。

 

 



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