第二世界大戦末期の1945年2月13日(22時3分〜28分)〜14日(1時23分〜55分)に行われたドレスデン大爆撃の犠牲者については、大きく分けて2つの説があります。 一つは、イギリスのデービッド・アービングが唱え始めたとされる13万5千人説であり、もう一つは、旧東ドイツで唱え始められたとされる3万5千人説です。 例えば、「20世紀はどんな時代だったのか 『欧州の戦争』無差別爆撃(上)」には、 「戦後、旧東ドイツに組み込まれたドレスデンでは、爆撃を実施したのが米英だったため、空襲の被害の掘り起こしが、西側への批判につながった。「冷戦開始とともに、犠牲者数が多くなり、朝鮮戦争時は10万人という数が主張された。50年代中ごろから3万5000人という犠牲者数が大体定着した」(ドレスデン博物館 フリードリヒ・ライヘルト研究員(現代史担当))」 と書かれています。これだけみると、3万5千人説が正しいように思えます。 しかし、上記のフリードリヒ・ライヘルト氏の証言には明らかな矛盾があります。 「冷戦開始とともに、犠牲者数が多くなり、朝鮮戦争時は10万人という数が主張された。」 とありますが、そもそも「冷戦」は、第二次世界大戦終了直後の1946年〜1947年頃から始ったとされており、朝鮮戦争は、1950年〜1953年におこなわれています。 ナチス時代の1945年には、、20万人以上とされていたドレスデン爆撃の犠牲者が、それから僅か5年しか経っていない、冷戦まっただ中の朝鮮戦争当時(1950年〜1953年)には、半分の10万に「減少」しているのです。 しかも、その数年後の1950年代中ごろには、更に「減少」し、僅か3万5千人にまで「減少」しています。 戦後10年で、ドレスデン大爆撃の犠牲者数が5分の1にまで減少してしまったわけです。 「ベルリンの壁」の建設が、1961年8月、東西冷戦の象徴として有名なキューバ危機が1962年10月であることを考えれば、1950年代中ごろといえば、冷戦真っ盛りです。 つまり、犠牲者の数字を追う限りでは、どうみても、冷戦開始とともに、犠牲者数が少なくなったとしかいいようがありません。 これは、ライヘルト氏の「冷戦開始とともに、犠牲者数が多く」なったという発言とは完全に矛盾します。 この矛盾に関連して、秦郁彦氏が興味深いことを書いています。 「 イギリスのデービッド・アービングは、各方面の調査から一三万五、〇〇〇の数を出しているが、東ドイツ時代のドレスデンの市役所は三万五、〇〇〇人を主張し、アービングをふくめ西欧側の数字が大きい−見方によっては広島の原爆死者数よりも−のは、通常爆撃でも核攻撃より死者が多いことを示し、将来の核戦争をやりやすくするための陰謀だと非難している。 そうなると、三万五、〇〇〇人も、死者の数を少なく見積ろうとする動機から出た政治的数字と見られなくもない。」 「第二次大戦航空史話 上」(秦郁彦 中公文庫 P一五二) こうしてみると、3万5千人説は、その成立の経緯等から、信憑性に疑問があると言わざるを得ないと思われます。 従って、ドレスデン大爆撃の犠牲者に関しては、13万5千人説の方が信憑性が高いと思われます。
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