旅順偕行社の研究会同



 私が関東軍参謀で満州に赴任したのは昭和三年八月張作霖爆殺の二ヵ月後であつた。更に二ヵ月おくれて石原莞爾中佐が作戦主任として着任した。満州事変を遂行した中心は何といつても石原であるが私は以後事変迄、間に一年抜かして彼と接触し、共に談じた間柄でその人柄も良く知つている、石原という人は軍事学者としては一流の人で、若い時からフリードリッヒ大王、ナポレオン戦史を研究し、この頃にはすでに軍事学の立場に立つた一つの世界観を持つていた。

 日蓮宗の色彩が強かつたことはあるが、ともかくも思想家であつたという点は当時の軍内においても珍らしい存在であつた、又非常に私生活の正しい人で若い時はどうであつたか知らないが、女遊びや宴席に出ることなど一切しなかつた、只彼の短所は、他人より十年、二十年先のことを考えていたせいもあるが云い出すことが良く云えば天才的わるく云うと奇矯、突飛に見えることがあり、現実ばなれしていると誤解されることがあつた。

 しかし決して夢想的理想家ではなく、一たん綿密に計画を策定すると電光石火の如く、強力に実行して行く胆力を持つていた。満州事変当初の作戦は世界軍事学界の驚歎の的になつた、といわれる。

 私が満州に行つてしばらくは張作霖爆殺の真相が次第に明らかになり、河本大佐が、東京に呼び返されて審問されるというようなことがあり、現地の空気は落ちつかなかつた。

 真相調査のため峯憲兵司令官が十月頃満州にやつて来たが、関東軍の方で協力的態度に出なかつたため、何物も得ることが出来ず、帰国する途中朝鮮軍に立ち寄り、軍司令官に苦衷を述べると、すぐ中隊長以上を集めて夕食会をやりその席上の雑談で、爆破作業を行つた龍山工兵隊の神田中尉等から状況説明を聞いて使命を果したということがあつた。

 河本大佐は張爆殺を機に満州南部を占領する気であつたがこれは失敗した、旨く行つていたら後の満州事変はこの時起つていたかも知れないのである。それどころか新しく東三省統治の席に就いた張学長は直ちに易幟を打つて青天白白旗をひるがえし、南京政府と呼応して排日攻勢に出て来た、満州の情勢は悪化して行く一方である。一方北方ソ連は第一次五ヵ年計画に着手し、その戦備は次第に充実しつつあり、やがて極東において我国の一大敵国として相接するのも遠くないと思われた、石原はソビエトの国力進展には特に注意を払うていた。

 満州国建議の一大目的も赤色勢力南下に対する強力な防波堤建設にあつた。
 きて、張爆殺が一段落した頃に高級参謀として板垣征四郎大佐が赴任して来た。板垣という人は石原とは対蹠的な性格で秀才型の人ではなかつたが、包容力に富み粘り強い性格で親分肌の苦労人であつた。板垣の実力と石原の綿密な計画力の結合によつて満州事変は行われたと云つても過言ではない。

 かくて、我々は悪化しつつある当面の満州情勢をどう処埋すべきかについて、毎週一、二回旅順偕行杜に集つて熱心に討議研究した。

 そのきつかけは昭和四年七月村岡軍司令官に代つて畑英太郎中将(畑俊六元帥の実兄)が着任した時であつた。我々は先ず新軍司令官の満蒙問題に対する見解を糺し、中将が充分理解ある態度を持つていることを確めた。その日の夜我々三人は会合して当面の満蒙問題に対して熱心に議論し、石原中佐の発案で「この静かな環境を利用して、世界の情勢と満蒙の状態、そこから我々の取る態度方法を研究しよう。そのため一週に一、二回偕行杜で会合して互いに腹蔵なく論議を戦わし、不明の点はそれぞれの専門家に学び又、支那馬の調査しかしていない調査班を拡充してより高度の研究を行わせよう。」 ということに意見が一致し、以後三人は毎週会合して研究を行つた。

 私は、新しい満州は、日本人を中堅として二重国籍を持たせて各民族共同の王道楽土を建設すべきだと考えていた。

 日満は不可分一体で例えば太陽の光を受ける月のようなものであるようにしたい。その際日本人は大規模な企業、智能的事業に、朝鮮人は農業、中国人は小商業や労働を分担し、各々その分を完うして共存共栄しようというのであつた。虐げられている満州人を救つて王道楽土にしようというのであるから、内地のように大資本の横暴を許すことは出来ない。

 財閥満州に立入り禁止という我々の考えはその後も一貫した。日産コンツェルンを導入したのも、日産が広汎な大衆に株式を公開していたからで、単に経営技術を使つたにすぎない。さて、我々の計画は昭和六年に入ると急に具体化して来た。張学良の排日はいよいよひどくなつて小学生の通学さえ危険になつて来る。

 しかも大恐慌の波が波及して、満州の穀物は大暴落して、農民は塗炭の苦しみに陥るし、学良の平行線建設が功を奏して満鉄も大きな赤字を出すという状況であり、邦人の多くも学良の陰に陽に手を変えての圧迫によつて生業をつづけて行くことが出来ず、満州を去る者も出て来た。

   計画に加わつた人々


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