東京裁判では太平洋戦争の出発点を満州事変に遡つて、究明したが、たしかに柳条溝事件の爆音は其の後連鎖反応を起して、止めどない大戦争へ突入してしまつたのであるが、今考えてみて、満州事変が当初我々の考えていたような線で処理されていたら歴史の進展は多少その方向を変えていたかも知れない。

 あの時満州事変を起したことは時機としても方法としても決して誤つていたとは思えない。

 当時ブロック圏形成の動きは世界的な必然であつて、日本が満州なしに生活して行くことは不可能であつたし、逆に放置しておくならば日本は張学良及び背後の南京政府の排日によつて大陸の足がかりを失つていたかも知れないのである。我々は、世界情勢の危機にあつて日本の進むべき道は満州の中国本土からの分離のみである、更に虐げられた満州住民に王道楽土を建設してやることが東亜安定の最も好ましい政策であると信じたのであつて中国本土と果しない大戦争に入るという愚を冒すつもりは毛頭なかつた。満州事変の口火を切つた柳条溝事件については、今日それを語る者は私の他に殆んど居ない。関係者の大部分は死亡してしまつたし、またこれ迄漠然とした推測はなされていてもこの事件の裏相を語つた者は誰もいない。
 記憶をたどりつつ当時のことを記してみようと思う。

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