石原莞爾尋問調書 1946年5月24日


1946年(昭和21年)5月24日 東京 逓信病院
国際検察局(IPS)による石原莞爾の尋問調書

 1946年5月24日 0930〜1130
 東京逓信病院(東京市 麹町区 富士見町)
 尋問 H・C・ノートン(SE)
 通訳 エリック・W・フレッシャー少尉(0935000)
 記録 マーガレット・(判読不能)嬢
 証人 石原莞爾


Q 1931年の関東軍でのあなたの階級は

A 1928年から1932年まで、関東軍で中佐だった。

Q ハシモト(橋本欽五郎 はしもと・きんごろう のことか?)が最初に、満州を接収するための計画を明確に述べ始めたのはいつですか。

A 当時、私はハシモトを知らなかったから、そんなことはしらない。

Q 奉天の陰謀については、何も知らなかったのですか。

A そのような陰謀が計画されていることは知らなかった。丁度このあいだ、コウノ・タニキチ(判読困難)将軍が、この問題で本を書くために、私に手紙を寄こして、この事件への関与に関する同じ質問をしてきた。

Q 軍人の団体(判読困難)と同様に、政府もこの陰謀に手を染めていましたか。

A 知らない。

Q 事変当時のあなたの上官は誰ですか。

A 三宅光治少将(みやけ・みつはる 関東軍参謀長)が私の上官だった、三宅少将は今、ロシア人(判読困難)の手中にいる。

Q あなたや、板垣は満州は日本に指導されるべきだと考えていたのですか。

A 板垣の考えは判らないが、私は、もし事件が起これば、満州を日本の一部にしたいと思っていた。

Q あなたや板垣は、事変が起こる前に、満州の5カ年計画を作っていませんでしたか。

A 作っていない、5カ年計画は、1936年に宮崎正義(みやざき・まさよし)が作った。

Q 1931年9月18日の事件の詳細を教えて下さい。

A 満州にはおよそ20万の中国軍がおり、そのうち、約5万が奉天に配置されていた。 日本軍はたった1万に過ぎず、これらの軍隊は、満州鉄道の鉄道線路沿いに、配置(判読困難)されていた。
  中国軍と日本軍の緊張のため、私は、満州事変のような出来事が起こった際、鉄道線路を保護するための計画を作った。
  この計画は、時々(判読不能)され、多くの人々がこの計画は、実際には1931年9月18日の満州事変の一部であったと考えている。
  私は中国人が、1931年9月18日に鉄道線路を爆破したと思っている。

Q イマダ大尉(今田新太郎 いまだ・しんたろう 張学良顧問補佐官 のことか?)が鉄道線路の爆破を支援したのではないか。

A イマダ大尉が、鉄道線路の爆破に関ったとは思えない。

Q あなたは、林久治郎(はやし・きゅうじろう 奉天総領事)が幣原喜重郎男爵(しではら・きじゅうろう 外務大臣)に、軍は陰謀をもくろんでいると打電したことを知っているか。(9月15日の電報のこと)
  そうだ、説明の部分は次のようになっている。

  撫順駐留の中隊を指揮する、私の知っている(判読困難)川上という名前の中隊長は、もし、何か事件が起これば、彼の部隊を率いて奉天に向かう鉄道線路付近一帯を奪取し、(最終的に)奉天の滑走路を奪取するように(判読困難)指示されていた。
  緊張状態が広まっていることを心配していたため、川上は、命令無しに、滑走路を奪取することになるような行動は保留することを決めた。それは、単なる演習のはずであった。
  その結果、川上は、9月10日に、9月18日の夜、奉天の滑走路を奪取するための命令を出した。
 撫順の満州鉄道の石炭部門の長であるゴドオ氏(伍堂卓雄 ごどお・たくお 満州鉄道理事 のことか?)が、この命令を聞き、彼の友人である林久治郎に語った、そして今度は、林が幣原に陸軍は陰謀をもくろんでいると打電した。

  満州事変が起こったのとまさに同じ晩に、このような行動が計画されていたというのは、いったいどういうことなのですか。

A たまたま一致しただけだ。

Q あなたは、この打電のため、建川美次(たてかわ・よしつぐ 参謀本部第一部長)が奉天に行ったことを知っていますか。

A 私は、なぜ建川が奉天に来たのか知らないが、建川は9月18日に来て、板垣か私が、彼に会うように要求した。そこで、板垣が建川に会った。

Q あなたは、関東軍の士官が、建川が来たため、満州事変を9月18日に計画したことを知っていますか。

A いや。

Q 建川が、陰謀に賛成していたことを知っていますか。

A いや。

Q 満州事変の後、関東軍はどのようにして満州国政府を支配したのですか。

A マッカーサー(判読困難)が日本政府を取り扱ったようにだ。

Q それは、両方の政府が同じ方法で取り扱われたということですか。どうか、正確に答えて下さい。
 
A 満州事変の発生の直後、顧問委員会が組織された。委員は、雄峰会と満州青年連盟のえり抜きの男達で、関東軍が編成した。
  彼らは、満州政府のトップに助言した。委員会は、どのようなことであろうとも、関東軍の承認を得なければならなかった。

Q 一般事務委員会(東北行政委員会のことか?)の長であったホシノ(星野直樹 ほしの・なおき のことか?)を知っていますか、知っているとしたら、彼について何を知っていますか。

A 満州事変の発生後、ホシノは満州を日本の一部にしたがった、関東軍は彼の政策を承認した。

Q 1932(判読困難)年1月の錦州(判読困難)地方への侵略についてなにか知って いますか。

A あの時、私は、この行動に気付いていなかったので、困らされた。そう言うわけで、私は、誰が命令を下したのか知らないが、侵略は(判読不能)まで行った。日本陸軍は、打ち負かされ、引っ込んだ。

Q 1933年4月から5月の熱河(判読困難)地方への侵略についてなにか知っていま すか。

A 私は、(当時)仙台で連隊長として、部下に(判読不能)と戦う訓練をすることに非常に忙しかったから、この行動についてはよく知らない。

Q あなたは、張作霖(ちゃん・たお・りん)の暗殺についてなにか知っていますか。

A 張作霖の暗殺は、1928年の3月か4月に起こっているが、私が満州に到着したの は1928年の10月だ。私は張作霖を知らない。

 粟谷憲太郎・吉田裕 編集解説「国際検察局(IPS)尋問調書 31巻」日本図書センター
 (P54〜P75)

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