ジョセフ・C・グルーの1938年2月10日の日記



一九三八年二月十日
 パネイ事件の反射熟がさめはじめるや否や、
南京に侵入した日本軍の言語に絶した残忍と、彼らの放恣な米國諸權利の侵害が傳わつて來た。後者は米國の家庭の掠奪と米國國旗の冐涜を含み、國旗は諸所で引別下ろされ、焼かれ、あるいは外の方法で廃棄された。中国人は大體無差別に殺され、多数の中国婦人が陵辱された。もちろん日本人は何に対しても返答を持っている。米國國旗の神聖を汚したことについては、中国人が自分の財産を保護するために米國旗を使用していたという。だがそれは日本で書かれ、米國の總領亊が署名した證明書が真実の米国財産に貼付してあったのに、なぜ注意を拂わなかったのかの説明にはならぬ。中国婦人の陵辱については彼らは、何百という中国の職業的女性が公開の娼家から逃げ出したので、日本兵は單に彼女らが日常の職業を続けるように連れ戻しただけだし、何にしても米國が入手した報告は宣教師の口から出たもので、宣教師達は苦情を申し立てる事件を目撃してはおらず、自家の中国人雇人の言うことをそのまゝ受賣りしているだけの話だという。
 私に、日本兵が本当に望んだのは、中国人の家族や商人が南京に歸って來て、平和に日々の仕事に従事することだったと話して聞かせた人がある。
しかしこの人も、私が大量死刑や殺人や女子陵辱にもかゝわらず、もし中國人、殊に娘を持つ人々が、よここんで歸って來るとしたら、少々変ではないかといったことに対しては、多少返事に窮していた。いや、事実、彼は中国人の態度が理解出來るとさえいった。

 (ジョセフ・C・グルー「滞日十年」毎日新聞社 上巻 P321)


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