以下に、松井大将の陣中日誌の原文を記載します。
 
 「十二月二十三日(晴)
 二週間振[リ]ニ帰来ス 上海情勢漸次平静ニ向ヒツツアルモ南市ノ処分未タ終ラス 滬西方面ニアル外国人ノ居住モ一応ハ許可セルモ 支那人ノ出入自由ナラサル為メ実行意ノ如クナラス 其後ノ謀略ニ付原田少将、楠本大佐ヲ召致シテ情況ヲ聞ク 是亦多少共進展ノ模様ニテ上海在住実業家ヲ網羅スル和平、救民運動ハ漸ク其緒ニ就カントシツツアルモ未タ十分ノ纏ヲ見ス 一層ノ努力ヲ要スルモノト思ハル思フニ先日来のパネー事件、蕪湖事件等英米抗議ニ対スル東西ノ衝撃か兎角ニ上海支那人中ニモ鋭敏ニ影響スルモノアリシ乎
 杭州占領(欄外)
 第十軍ハ此日杭州ヲ占領ス 最早何程抵抗ナク第百十四、百一師団ニヨリ易ク占領セラレタルハ可欣 尚在留外国人ノ問題モナク無事ナリシカ幸ナリ 今後風紀問題等モ故障ナカランコトヲ只祈ルノミ 銭塘江対岸ニ対スル作戦ハ今後ノ情勢ニ依リ決スル事トシ暫ク蕭山、余杭附近ヲ消極的ニ占領セシムルニ止ム」「南京戦史資料集U」
 (「南京戦史」偕行社 P146)


 見ていただけば、一目瞭然ですが、もともとの陣中日誌には、田中氏の本にある、
 

 此日南京占領後の我方の態度方針を説明する為め外人記者団と会見す。最初南京占領軍と其国際的影響を知るため紐育タイムズのアベンド、倫敦タイムズのフレーザーを招致し、然る後在上海の各国通信印と会見す。質問は主として、首都陥落後の日本方針及パネー号に対する善後処置なり。

 などという記述はありません。これについて、田中氏は既述のように
日記以外に大将が弁護人に与えたメモの挿入(二ヶ所)を日記本文と峻別しなかった等、づさんな点のあったことは認めます。
「月刊評論八三四号」
 と述べています。
 
 しかし、田中氏のしたことは、ただ単に、日誌に、もともと無かった文章を挿入しただけではありません。
 田中氏は、自分が挿入した文章に、
 
編者注 南京占領から十日を経た外人記者団との会見において、松井大将が「南京虐殺」に関する質問を受けたという様子が全くみられない点、注目すべきである。
 
 という、「編者注」をつけています。

 田中氏のした行為が「日記以外に大将が弁護人に与えたメモの挿入(二ヶ所)を日記本文と峻別しなかった」などというレベルの問題ではないことがお判りになると思います。
 田中氏は、史料を改竄し、その改竄した史料をもとに、南京事件の否定を行おうとしたと言わざるを得ません。
 まさに「原文を勝手に書き直して、虐殺事件を隠した」としか言い様がありません。

 しかも、田中氏は、既述のように、自らの改竄を認めておりません。これでは、歴史を研究する資格はないと言わざるを得ないでしょう。
  

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