小林よしのりは、「平和」の反対は「戦争」ではなく、「平和」の反対は「混乱」であり「戦争」の反対は「話し合い」だと主張していますが、これは間違いです。

 手元にある旺文社の国語辞典には、
「戦争」の対語は「平和」、「混乱」の対語は「秩序」とあります。
 また、三省堂の国語辞典には、
「戦争」とは「国と国が武力を使って争うこと」と定義されており、この対義語として「平和」とあります。
 小林よしのりは、日本語の「戦争」の意味も知らなければ、その反対語も知らないようです。辞書を引いたこともないのでしょうか、それとも、自分の主張にそぐわないのでので、辞書の定義を無視しているのでしょうか。
 自分で勝手に言葉を定義付けすれば、かって一世を風靡した、かの「定説」ようにどんなことでも主張できます。しかし、それはもはや
日本語ではありません。

 「戦争」と「平和」を対にして考えるのは、日本だけではありません。
 ロシアの文豪トルストイの代表作は、ナポレオンのモスクワ侵攻を舞台にした大作「戦争と平和」ですし、ピカソには、1952年に描いたバローリスの礼拝堂の壁画が「戦争と平和」という題になっています。
 また、国際法の嚆矢となったオランダのグロティウスの代表作『戦争と平和の法』(1625年)もあります。
 もっと時代をさかのぼると、軍事史研究家として名高いリデルハートがしばしば引用する古代ローマの格言に、「平和を欲するならば戦争に備えよ」というものがあります。
 つまり、ヨーロッパでも、紀元前の古代ローマ時代から「戦争」と「平和」は対になっているのです。

 小林よしのりの主張は、偏見に過ぎません。国語的にも、歴史的にも間違いなのです。
 
 実際のところ、小林よしのりが、こんな主張をしているのは、「俺は戦争を経験しているんだ、お前らとは違うんだ。」と言いたいだけなのでしょうが、私人同士の争いは「戦争」とは言いません「私闘」といいます。

 万が一、オウムの犯罪行為が、小林よしのりのいうように「戦争」であれば、戦時国際法が適用されることになり、オウムの犯罪者は「捕虜」として扱わなければならなくなります。
 小林よしのりは、オウムの犯罪者を「捕虜」として保護せよとでも言いたいのでしょうか。


 付記
 小林よしのりのファンを名乗る方から、「戦争」の反対が「平和」であるというのは間違っていると言われたので、辞書にはそう書かれているとお答えしたところ、辞書に書いてあることをそのまま信じるのは権威主義だと言われたことがあります。

 注:「付記」は「太平洋戦争の基礎知識4」には含まれていません。


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