小林よしのりは「外国人ジャーナリスト、日本の新聞記者も、そこ〔南京〕にいっぱいいたのにだれも虐殺など見ていない。」と書いていますが、これは嘘です。

 付記
 外国人ジャーナリストも「虐殺」を見ていますし、報道もしています。


 例えば『ニューヨーク・タイムズ』の記者であった、F・T・ダーディンは、

  • 『ニューヨーク・タイムズ』の記事でその光景を書きましたが、川岸では日本兵が捕虜の中国兵を何百人がずつ連れ出しては銃殺して処刑しているのを目撃しました。

  • 南京事件調査研究会「南京事件資料集 アメリカ関係資料編」青木書店 P560

と語っています。

 また、日本の新聞記者も、「虐殺」を目撃しています。

 毎日の鈴木二郎記者の記事によれば、

  • 十三日に中山門の城壁の上で一列に並べられた捕虜が一人一人銃剣で突き殺されていた。


 ちなみに、読売新聞の原四郎記者は

  • 当時の新聞記者が見ていないというのは、つまりは当時の記者は日本軍の勇敢な記事だけ送っていればよかったのだから、ヒューマニズムの立場から、日本軍の暴行というようなものを、つっこんで取材していないのは当り前

という非常に興味深いコメントをしています。

 また、対象を新聞記者に限定しなければ、目撃者は更に増えます。

 白井茂氏(映画「南京」の製作者)。

  • 虐殺の現場は二度見た。一度はサクがあったように思う。はるか離れているところで、銃殺していた。数は憶えていない。揚子江でない川のところで、機関銃で撃っているところも見た。私なら抵抗すると思ったが、彼等は従順に死を待っていたようだ。川にとび込んで、向うに泳きついた者もいた。二百人ぐらいいたと思う。場所は憶えていない。


 藤井慎一氏(映画「南京」の録音技師)。

  • 小さな川の傍の門の中で捕虜らしき者を撃っているのを見た。白井氏と一緒だった。いくつかの死体に石油をまき、火をつけた。中に生きている兵隊がいて"早く射て”と胸を指さし、"蒋介石万歳”といったので、大変驚いたのを憶えている。
     
    それ以外にも、銀行の裏で百人以上が殺されているのを見た。胸のあたりを銃剣で突いていたように思う。虐殺の噂はきいたように思うが、見たのはこの時だけである

 (以上「『南京大虐殺』のまぼろし」より引用)

 蛇足になりますが、「無かった派」は、しばしば、この映画「南京」に死体や虐殺が映っていないことを根拠に、「虐殺は無かった」と主張しますがが、肝心の映画「南京」の関係者が「虐殺」を目撃していることに関しては、黙して一切語っておりません。

 さて、話を戻しまして、証言のきわめつけは、戦史研究家としても著名な、元大本営海軍参謀である奥宮正武氏の言でしょう。氏はこの当時海軍第一三航空隊艦上爆撃機隊指揮官でしたが、このとき一週間ほど南京で戦友の遺体の捜索をしております。

 奥宮氏の証言をみてみましょう。

  • 車を北西方に走らせて南京城外に出て、揚子江岸にある下関に行くことにした。そして、そこで、図らずも、陸軍部隊が多数の中国人を文字通り虐殺しているのを見た。
     江岸の処刑場と思われるところに入ると、それぞれ三十数名をのせたトラックが次々と城内から到着していた。そして、陸軍兵たちは、彼らを処刑場の一隅につれていって、後ろ手に縛ったのち、江岸に引き出してきて、流れにそった場所に一列に並ばせたのち、日本刀や銃剣で殺害していた。そして、死体を江上に投棄していた。それでも死に切れないものは、銃撃で止めを刺していた。中には、浅瀬や江上の障害物のために、流れ去らないものがあったので、その付近は血の海となっていた。そこで、付近にいた陸軍将校の一人に
    「なぜこのようなことをするのか」
     と尋ねたところ、彼は、
    「数日前、一人の勇敢な中国兵がわが陸軍の小隊長級の将校十余名が寝ている寝室にひそかに侵入して、全員を刺殺した。そこで、それらの将校たちの部下が、報復のために、その宿舎の付近の住民を、見せしめの目的で、処刑している」
     とのことであった。
     翌々日の巡回のさいにも、下関で同様な光景を目撃した。それにしても、多数の中国人を大した混乱もなく、下関まで連れてくることに疑問を感じたので、処刑場の入口を警戒していた一人の下士官に尋ねた。彼の答は、
    「南京城内で跡片付をさせている中国人に、腹のすいた者は手を上げよ、と言って、彼らを食事の場所に連れていくかのようにしてトラックに乗せてくるとのことです」
     ということであった。そこで、更に、
    「日本刀や銃剣で処刑しているのはなぜか」
     と尋ねたところ、
    「上官から、弾薬を節約するために、そうするように命じられている、とのことです」
     とのことであった。
     そのような処刑が、南京占領後二週間以上もたってからも、連日、手順よく行なわれているとのことであった。そのことから察して、それが戦場特有の一時的な興奮状態での対敵行動であるとは私にはどうしても思われなかった。言い換えれば、それはある種の統制のとれた行為であると感じざるをえなかった。こう考えてくると、わが陸軍部隊の南京占領以後、その数は定かではないが、莫大な数の虐殺が行なわれたことは想像に難くなかった。

  • 奥宮正武「真珠湾までの五十年 真実の「太平洋戦争」前史」PHP研究所 P315〜318


 以上の証言から明らかなように、「だれも虐殺など見ていない。」などというのは、真っ赤な嘘以外の何物でもありません。

 最後に、小林よしのりが好んで引用するパル判事の南京事件に関する意見を引用して、締めとすることにしましょう。

 (注:パル判事とは東京裁判当時の判事のひとりで、日本には好意的であったためか、いわゆる大東亜戦争肯定派が好んでかれの意見を引用しているのはご承知のとおりです)

  •  いずれにしても、本官がすでに考察したように、証拠にたいして悪くいうことのできることがらをすべて考慮に入れても、南京における日本兵の行動は凶暴であり、かつベイツ博士が証言したように、残虐はほとんど三週間にわたって惨烈なものであり、合計六週間にわたって、続いて深刻であったことは疑いない。事態に顕著な改善が見えたのは、ようやく二月六日あるいは七日すぎてからである。
     弁護側は、南京において残虐行為が行われたとの事実を否定しなかった。かれらはたんに誇張されていることを愬えているのであり、かつ退却中の中国兵が、相当数残虐を犯したことを暗示したのである。

  • 東京裁判研究会 「共同研究 パル判決書」講談社学術文庫 P600〜


 注:「付記」は「太平洋戦争の基礎知識4」には含まれていません。


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