「戦史叢書 マレー侵攻作戦」によれば、マレー侵攻作戦当時、マレー半島にいた英印軍は、当初約9万程度でした。その後、シンガポールから来たの増援を合わせても10万程度にしかなりません。
 これに対して日本軍に関しては、部隊編成に関する記述はありますが、兵力に関する記述はありません。
 そこで、分っている部隊編成から兵力を割出す必要があります。
 日本軍の主力である3個師団のうち、近衛師団は、3単位師団で定数は約1万5千、第5、第18師団は、4単位師団で定数は約2万2千ですから、この3個師団だけで、定数の合計は約6万になります。(「戦史叢書 マレー侵攻作戦」)
 その他の部隊(戦車4個聨隊、砲兵11個大隊等)を加えればもっと増えます。更に、制空権は終始日本が握っていました。

 リデル・ハートの「第二次世界大戦」(フジ出版)には、日本軍は「戦闘員約七万」で、イギリスの「マレー守備軍総計八万八〇〇〇<英兵一万九〇〇〇、オーストラリア兵一万五〇〇〇、インド兵三万七〇〇〇、マレー兵一万七〇〇〇>」よりも「少なかった」が、同時に「英軍は混合部隊で、装備・訓練両面において」「劣っていた。しかも日本軍は戦車二一一輌<マレー英軍はゼロ>、飛行機五六〇機<英空軍のほぼ四倍>の支援を受けており、その飛行機は質において英軍のものよりもはるかにまさっていた。」と書かれています。

 <参考>
 3単位師団:3個小隊で1個中隊を、3個中隊で1個大隊を、3個大隊で1個連隊を、3個連隊で1個歩兵団を編成し、1個歩兵団に支援部隊を組合わせて編成された師団のことで、定数は約1万5千です。
 4単位師団:4個小隊で1個中隊を、4個中隊で1個大隊を、3個大隊で1個連隊を、2個連隊で1個旅団を編成し、2個旅団(=4個連隊)に支援部隊を組合わせて編成された師団のことで、定数は約2万2千です。4単位師団は、3単位師団より古い編成形式で、太平洋戦争当時、4単位師団の3単位師団への改変が進められていました。
桑田悦・前原透 「日本の戦争 図解とデータ」(原書房)


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