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小林よしのりは「関東軍・樋口季一郎少将と安江仙江大佐も『日本はドイツの属国にあらず』と2万人のユダヤ人を救っている」書いていますが、いきなりこんなことを言われても意味がわからないので、最初から筋道を立てて説明しましょう。
まずこれは、ナチス・ドイツのユダヤ迫害政策に端を発しています。
ドイツ政府は1935年、ユダヤ教徒でなくても祖父母4人のうち3人がユダヤ教徒であった場合、その者は完全ユダヤ人とみなすという、いわゆるニュルンベルク法を制定します。そしてこの法に該当した者は、市民権を奪われ生活に制限が加えられることになりました。
さらに事態はすすんで、1938年11月、ポーランド系ユダヤ人青年によるパリのドイツ大使館員狙撃事件が起こります。
ドイツ政府はこの事件以降ますますユダヤ迫害政策を強め、その結果ドイツ系ユダヤ人の国外脱出が活発になりました。これに伴い、ドイツからポーランド、ポーランドからロシアを経てユーラシア大陸を横断するような格好で、はるばる満州国に流れ込んでくるユダヤ人たちもいました。
それがあるとき(日付ははっきりしませんが、1938年の春頃)
、一挙にユダヤ人約2万人が満州国に入国しようとしたところ、その満州国に拒否されるという事態が発生します。入国を拒否され、後戻りもできないユダヤ人達は、オトポールというソ連の国境付近で立ち往生することになりました。
この事態を救ったのが、当時、満州国における日本陸軍情報機関のトップであるハルピン特務機関長の職にあった、樋口季一郎陸軍少将だったのです。
このときの様子を樋口少将の回想録から見てみましょう。
- ドイツ東境から多数のユダヤ人がポーランドに流入した。そして程度こそ違えやはりユダヤ間題は、ポーランド国家最大の悩みである。喜んで彼らを受け入れる筈がない。ポーランドは彼らをロシアヘ押しやった。ロシアは極東地方にプロビジャンなる小地域を設け、ユダヤ人の入植を可能としていたから、彼らがもしそこで百姓をする気ならロシアに留り得たであろうが、追放されたユダヤ人の大多数は概して都市出身であった。そのため彼ら約二万人が、例の滿州里駅西方のオトポールに詰めかけ入滿を希望したのである。それは、民族移動であり流民である。旧訳聖書に見るエジプトからのユダヤ民族東漸の昭和版であった。
滿州国はピタッと門戸を閉鎖した。ユダヤ人たちは、わずかばかりの荷物と小額の旅費を持って野営的生活をしながらオトポール駅に屯ろしている。
もし満州国が入国を拒否する場合、彼らの進退は極めて重大と見るべきである。ポーランドも、ロシアも彼らの通過を許している。然るに「五族協和」をモットーとする、「万民安居楽業」を呼号する満州国の態度は不可思議千万であった。これは日本の圧迫によるか、ドイツの要求に基づくか、はたまたそれは滿州国独自の見解でもあるのか。
私は某日、満州国外交部ハルビン代表部主任某君の来訪を求め、この問題に関して種々協議したのであったが、結局これは人道上の問題であることに意見一致を見たのであった。
その後、外交部の決定としてともかくも滿州里駅通過、潮のごとくユダヤ流民がハルビンに流れ込んで来たのであった。
(樋口季一郎「アッツキスカ軍司令官の回想録」芙蓉書房 P352〜)
事実上、それまではユダヤ人の流入に関してはフリーパスでした。ハルピンにはユダヤ人街まであったほどです。ところが一挙に2万人ものユダヤ人が入国を求めたのに対し、にわかに満州国は扉を閉ざしたのです。これはどういうことなのか、樋口少将も不可思議千万と書いておりますが、ともあれかれは人道上の理由からかれは満州国外交部と話しあい、行き倒れになるしかなかったユダヤ人たちを入国させ、彼等を救ったのです。
つまり、ここからはっきりするのは、満州があったからユダヤ人は救われた、のではないということです。その逆に、2万人のユダヤ人たちは満州があったがために、危うく行き倒れになるところだったのです。
そしてそれを救ったのが樋口少将でした。
同時に、日本もナチスドイツ並の非人道国家に堕ちるところを、救われたといっていいでしょう。
ここで小林よしのりの言い分をもう一度見て下さい。そう、杉原千畝氏の場合と同様に、事実は全く逆転しているのです。
それでも話がここで終われば、まだましだったのですが、残念ながら、この話には続きがあります。
後日、ユダヤ人たちを救った樋口少将の元に、ドイツ政府からの文書が、日本外務省及び陸軍省経由で届けられます。この文書はどこを探しても現物が見あたらないので、内容については確認できませんが、樋口少将の手記から見ると、ユダヤ人を救ったことに対する抗議文だったようです。もう一度、樋口少将の回想録を見てみることにします。
- 本問題に関する「私の態度」として、「(中略)もしドイツの国策なるものが、オトポールにおいて被追放ユダヤ民族を進退両難に陥れることにあったとすれば、それは恐るべき人道上の敵ともいうべき国策である。そして、日満両国が、かかる非人道的ドイツ国策に協力すべきものであるとすれば、これまた驚くべき問題である。私は日独間の国交の親善を希望するが、日本はドイツの属国でなく、満州国また日本の属国にあらざるを信ずるが故に、私の私的忠告による満州国外交の正当なる働きに関連し、私を追求するドイツ、日本外務省、日本陸軍省の態度に大なる疑問を持つものである」
と述べ、私は何ら責任を負う立場にあらざることを主張したのであった。
(樋口季一郎 「アッツキスカ軍司令官の回想録」芙蓉書房 P353〜)
さて、どうでしょうか。
小林よしのりのいう「ドイツは「日本もユダヤ人を排斥しろ」と再三圧力をかけてきたが、日本政府は「全面的にユダヤ人を排斥するのは八紘一宇の国是にそぐわない」とはねつけた」(P38)はずの日本政府は、ここから見るに、ドイツと一緒になって、樋口少将に圧力を加えています。
なんのことはありません、小林よしのりの主張とは裏腹に、日本政府はドイツに迎合しており、ドイツの言うままに、樋口少将に圧力をかけていたのです。
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