「戦史叢書 蘭印攻略戦」によれば、バンドン要塞地区(バンドン要塞及びバンドン市街を含む)にいた連合軍は、約3万5千でした。これに対する日本軍に関しても、マレー攻略戦の場合と同様に、部隊編成に関する記述はありますが、兵力に関する記述はありません。
 そこで、この場合も、分っている部隊編成から兵力を割出す必要があります。
 バンドン要塞地区に向った、東海林支隊は、歩兵第230聨隊の第1、第2大隊、聨隊歩兵砲隊、戦車1個中隊、速射砲1個中隊、山砲2個中隊、高射砲1個中隊で編成されていました。4単位師団の歩兵大隊の定員は約千名ですから、兵力の定数は約2千、これに上記の支援部隊と、航空部隊の援護を受けていました。
 しかし、上記の戦力全てが、バンドン要塞で戦った訳ではありません。
 実際に、バンドン要塞で戦ったのは、連合軍は約4千、日本軍は、若松部隊のみです。若松大隊は、麾下の4個中隊の内、1個中隊は予備として戦闘に参加していませんから、兵力は約750でした。バンドン要塞が突破されると、他に防御陣地を持たないため、バンドン要塞地区にいた連合軍は戦意を失い、降伏を申し入れました。(「戦史叢書 蘭印攻略戦」)

 <参考>
 3単位師団:3個小隊で1個中隊を、3個中隊で1個大隊を、3個大隊で1個連隊を、3個連隊で1個歩兵団を編成し、1個歩兵団に支援部隊を組合わせて編成された師団のことで、定数は約1万5千です。
 4単位師団:4個小隊で1個中隊を、4個中隊で1個大隊を、3個大隊で1個連隊を、2個連隊で1個旅団を編成し、2個旅団(=4個連隊)に支援部隊を組合わせて編成された師団のことで、定数は約2万2千です。4単位師団は、3単位師団より古い編成形式で、太平洋戦争当時、4単位師団の3単位師団への改変が進められていました。
桑田悦・前原透 「日本の戦争 図解とデータ」(原書房)


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