小林よしのりは、日本は「「犯罪」をするために戦争を始めたわけではない。(中略)自存自営のため、「政策」の延長として、戦争という策をとった」と書いています。

 さて、これははたして本当でしょうか?歴史事実という観点からみてみましょう。

 最初に結論を書いてしまいますが、本が「犯罪」をするために戦争を始めたわけではない」というのは事実です。
 しかし、日本が、東南アジアを「日本の勢力圏」におさめようとして戦争を始めたことも、また事実です。

 史実をみてみましょう。
 まず、日本は、開戦に先立つ1月前の1941年11月20日、大本営政府連絡会議において、占領予定の東南アジア地域の欧米植民地の処理を次のように定めました。

  • 「南方占領地域行政実施要領」
  •    第一 方針
     
    占領地に対しては差し当たり軍政を実施し、治安の回復、重要国防資源の急速獲得及作戦軍の自活確保に資す。
     占領地領域の最終的帰属並に将来に対する処理に関しては別に定めるものとす。
  • (「戦史叢書 大東亜戦争開戦経緯5」 P420)


 
開戦1ヶ月前の時点では、東南アジアの欧米植民地は、資源の供給先としか想定されていません。
 そして、占領地領域の将来は別に定めるとなっています。つまり、
日本の指導者の頭の中には、欧米植民地の解放という考えはなかったのです。

 そして、しばしば主張される経済封鎖について言えば、それは、端的に言うと、被害妄想の一種でしかありません。

 たとえば、蘭印との交渉(いわゆる日蘭会商)における日本の資源要求量と蘭印側の最終回答量は次のようになっています。
(蛇足ながら付け加えれば、この日蘭会商においては、別途、130万トンの石油買付契約が成立し、1940年11月12日に調印されています)

        最終要求量 最終回答量 受諾率
生ゴム     20,000 15,000 75.0%
錫・錫鉱石   3,000 3,000 100.0%
ニッケル    180,000 150,000 83.3%
ヒマシ     6,000 6,000 100.0%
規那皮     600 600 100.0%
樹脂ダマルコパル 1,450 1,400 96.6%
カポック繊維  1,000 1,200 120.0%
カポック種子  5,500 6,000 109.1%
コプラ     25,000 19,800 79.2%
籐       1,000 1,200 120.0%
パーム油    12,000 12,000 100.0%
タンニン材   4,000 1,200 30.0%
ボーキサイト  400,000 240,000 60.0%
マンガン鉱   20,000 6,000 30.0%
キニーネ    80 60 75.0%
黄麻(ジュート) 1,300 1,400 107.7%
合計      680,930 464,860 68.3%

(「戦史叢書 大東亜戦争開戦経緯4」 P46)

 ここからは、結果的に、蘭印が日本の要求の大部分を受け入れていることが分かります。
 ここまで妥協が成立している以上、普通は、ここで手を打つでしょう。何しろ、当時の日本はこれらの資源をのどから手が出るほど求めていたのですから。
 ですが、実際には、信じられないほど馬鹿げたことに

  • 今日までの蘭印のやり方は不都合にして、又応諾量も不足故、調印すれば国民は不承知なるべく、佛印や泰等にも日本の弱くなった感想を与え好結果とならず、調印せざるを可とす
  • (「戦史叢書 大東亜戦争開戦経緯4」P51)


 として、日本は自ら交渉を打ち切ったのです。

 相手は、売ってくれると言っているのに、相手がこちらの思うようにならず、最終的に売ってくれる量が、自分の要求量そのままではないからと断ったのです。
 しかも、自分からいらないと言っておきながら、これ以降、経済封鎖されたとして、ABCD包囲陣の打破を主張するようになります。

 これに伴い、平和的に石油、ゴム等の戦略物資を取得出来ない(!)以上、武力によって確保するしかないという手前勝手な意見が強くなり、南進論が強化され、南進の拠点とするため、日本は南部仏印進駐を計画します。

 1941年6月10日付の大本営陸軍部戦争指導班の機密戦争日誌には

  • 日蘭会商決裂せんとす
  • (中略)
  • 此の際仏印に対する軍事協定締結を促進すると共に南仏〔印〕駐兵権を獲得すべしの意見胎頭す

とあります。

 このときちょうど、日本とアメリカは関係打開のため交渉中でした。
 その交渉の中で、日本は、アメリカに対し、これ以上の領土的野心は持たないと主張していたのです。
 ところがまさにその時期、度重なるアメリカから警告や提案を受けたにも関わらず、日本はそれを無視し、日本は南部仏印へ進駐を決定しました。

 この日本の南部仏印進駐の結果、アメリカは、日本との交渉を放棄し、石油の禁輸に踏み切りました。



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