海軍軍令部が編纂した「極秘明治三七・八年海戦史」(一般に出回っている海軍軍令部編纂の「明治三七・八年海戦史」とは別のもので、防衛庁防衛研究所の図書館にしかありません。)によれば、東郷長官は、2月6日午前1時、各司令官、各艦長等を旗艦三笠に集め、連合艦隊を命じています。その中に、次のような一節があります。
  • 一、最近情報ニ依レバ去三日旅順ヲ出テタル敵艦隊ノ主力ハ大連湾ニ一泊シタル後再旅順ニ歸リ港外ニ碇泊シ其ノ内戦艦三隻本日〔5日〕午後何レヘカ出港セリ
  • 「日露海戦史の研究」上巻 外山三郎 教育出版センタ P417より転載 〔 〕内は筆者の注記
 これは、芝罘(チーフー)にいた、森中佐からの情報に基づくものでした。(後に誤報であった旨の連絡が入るのですが、上記の連合艦隊命令から判断する限り、その連絡は、東郷長官には届かなかったようです)
 この情報によれば、ロシア太平洋艦隊の7隻の戦艦のうち、3隻は旅順にはいないことになります。
 これらの3隻の戦艦がどこへ行ったのかは不明ですが、直近の事例から考えて、大連に向かったと考えるのが自然でしょう。

 戦艦4隻に全駆逐隊をぶつけるか、それとも駆逐隊を二分して、一隊を大連に向かったと思われる戦艦3隻に向かわせるか。東郷長官は後者を選択しまし、かくして、幻の戦艦を求めて、第4、第5駆逐隊は大連へと向かうこととなりました。

 もし、この誤報がなければ、あるいは誤報であることが、東郷長官にまで届いていれば、旅順港に対する夜襲はかなり変わったことは間違いないでしょう。

(「日露海戦史の研究」上巻 外山三郎 教育出版センタ P417)



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