まず、小室氏の主張とは異なり、威海術の夜襲も実際には不徹底なもので、結果から言えば、威海衛夜襲よりも、旅順港への夜襲の方がまだ戦果を挙げています。

 旅順港への夜襲が不徹底であった原因についても、小室氏の分析は間違っています。

 「日露海戦史の研究」では、旅順港夜襲における反省点として、
  •  その第一は、第四・第五駆逐隊を大連に向わせたことである。もしこれが旅順に向って居れば、その戦果は倍増したであろう。(中略)
  •  第二は、味方同士の衝突を起こしたり、前続艦を見失う等、当時の駆逐艦の艦長以下乗員の練度の低かったことが目立つが、一応それが当時の日本海軍の実力であったとすれば止むを得ない。しかしこれだげ多数の駆逐隊・駆逐艦を挙げての作戦である以上全隊を統轄指揮する司令官が任命されるべきである。
  •  そして第三は折角敵地に乗込み、各艦それぞれ魚雷を発射しながら前述のごとく大した戦果を挙げることのできなかった決定的理由は、各艦の戦術行動の拙劣さにある。その根本の原因は、肉迫猛攻の勇気に欠けたことにある。これについては当時の参加駆逐隊の司令や艦長がいみじくも述懐している、「初陣の悲しさ」「気持は逆上し、魚雷は盲目打ち」「襲撃は及び腰」等の言葉によく表われている。戦いに最も必要な勇気という資質において十分でなかったことが分る。
  • 「日露海戦史の研究」上巻 外山三郎 教育出版センタ P446
 の三つをあげています。

 このうち、第一の点については、戦艦三隻本日〔5日〕午後何レヘカ出港セリ」との誤情報があったことを考えれば、やむを得ないところでしょう。

 従って、小室氏の主張とは異なり、旅順港夜襲が不徹底に終わった原因は、駆逐艦乗組員の練度の低さ、指揮系統の不統一、駆逐艦指揮官の勇気の欠如、であったわけです。


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