連合艦隊が、駆逐隊(「水雷戦隊」ではありません。この時代にはまだ「水雷戦隊」という用語はありません。)の夜襲に、共同した攻撃をしなかった理由は3つあります。
- 日露戦争当時、戦艦や巡洋艦は昼間戦うのが原則で、夜間の戦闘は行いませんでした。日清、日露戦争を通して、駆逐艦以上の艦艇が夜間戦闘を行った事例はありません。
従って、駆逐艦の夜襲と同時に、戦艦や巡洋艦が夜襲をかけることは不可能です。
- 駆逐隊を分散した理由は、連合艦隊が、ロシア太平洋艦隊所属の戦艦のうち3隻が旅順港を出港したという誤った情報を受け取っていたためです。
この誤情報のため、戦艦がいる可能性があると考えられた大連に駆逐隊の一部が向けられることになりました。
- 東郷平八郎が、「我カ艦隊ヲ敵ノ強勢ナル海岸砲台砲火ノ下ニ暴露セシムルハ本職ハ戦略上寧ロ最後ノ手段ト考へ」、旅順港に対する攻撃に消極的であったためです。
しかし、これに対し、海軍軍令部は、「駆逐艦ノミヲ先襲セシメテ、最初ノ打撃ヲ露國艦隊ニ與フルハ頼ル危険ノ慮アルカ故ニ、艦隊ヲシテ敵所在地附近マテ掩護セシメ」るように命じていますから、日本海軍が、艦隊保全主義に陥っていたというのは正しくありません。
「日露海戦史の研究」上巻 外山三郎 教育出版センタ P103
更に、付け加えるならば、夜襲の翌日の昼、連合艦隊はその全戦力を持って、旅順艦隊を攻撃しています。
つまり、現実には、小室氏の主張とは全く裏腹に、「日本海軍の主力、六隻の戦艦、六隻の装甲巡洋艦が」「雷撃でひるんだ敵主力を急襲していた」のです。
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