ミッドウエー海戦において、「あと五分あれば攻撃隊全機が発艦できて、我がほうの勝利であった」とする、いわゆる「ミッドウエーの五分間」伝説は、「戦艦大和の片道特攻」伝説と双璧をなす著名な太平洋戦争伝説です。
 この有名な「ミッドウエーの五分間」伝説は、草鹿竜之介が戦後言い出しています。
 しかし、現在では、草鹿の主張が事実でないことが証明されています。

 ミッドウエー海戦において、空母赤城、加賀、蒼竜が急降下爆撃を受けたときの状況は、公刊戦史である『戦史叢書 ミッドウエー海戦』にはこう書かれています。
(P329)
  • 「被弾当時各空母はまだ攻撃準備中で、一航艦の兵装復旧(〇四四五発令、雷装へ)も完成していなかった。(中略)
  •  被爆当時空母は攻撃準備を終わり、攻撃隊が発艦を開始し、最初の一機が発進したとき「赤城」は被弾したと回想するものが多いが、それはこの上空警戒機の出発を誤ったものである。
 お判りでしょうか、被爆当時、機動部隊は雷装転換すら完了していなかったのです。
 
 ちなみに、戦記作家として、著名な豊田穣氏は、「海軍軍令部」において
  • 「あと五分あれば攻撃隊全機が発艦できて、我がほうの勝利であった」と草鹿参謀長が戦後に書いたので、「雷爆転換運命の五分間」ということがいわれたが、筆者はこれを認めない。あと五分では全機発艦は難しい。何故なら敵の艦攻の雷撃によって、機動部隊は変針を繰り返し、発艦コースを確保することは困難であった。また被害を被ることなく全機発艦できても、敵に対する攻撃はできたかもしれないが、こちらの被害は同じと見るべきである。すでに敵機は上空にきていたのであるから。
  •  また筆者が機動部隊航空参謀の源田実中佐に確かめたところでは、攻撃隊の発艦が遅れたのは、雷爆転換だけではなく、護衛の戦闘機を一〇機でもつけてやろうといづので、これを一応着艦させて、燃料、弾薬を補給させて、発艦させようとしたのが、裏目に出たというのである。最近ある女性の作者〔澤地久恵「滄海よ眠れ」〕が「運命の五分間はウソ」といって、いかにも大持ダネをスクープしたようなことを書いたが、そんなことは海軍の戦史研究家の間ではとっくの昔から常識で、いま頃、特ダネのような顔をするのは、本人の不勉強を示すもの以外ではない。
 と書かれています。  (「海軍軍令部」 豊田穣 講談社文庫 P272)

 「海軍軍令部」の初版は、1987年3月のことです。
 それから、8年、文庫になってからでも、5年も経つ1995年になっても、まだ「ミッドウエーの五分間」を主張する小室氏を、豊田氏ならなんというでしょうか。



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