当時、仏印は親独のビシー政権の支配下にあり、ドゴールとは何の関係もありませんでした。
 従って、仮に、ドゴールが仏印の管理をアメリカ、イギリスに依頼したとしても、それは何の意味も持ちません。

 ドゴールの依頼を口実にアメリカ、イギリスがビシー政権の承認無しに仏印に進入すれば、それは「侵略行為」となり、仏印軍との間に戦闘が発生することは避けられません。

 当時、中立国であり、しかもビシー政権のみを正当なフランス政府と認めていたアメリカはもちろん、ビシー政権を認めていなかったイギリスにしても、確実に日本の介入を招くこのような行為をする筈はありません。
 平和裡に進駐するためには、ビシー政権の承認が不可欠ですが、ドイツの影響下にあるビシー政権がこのような要求を承認することはあり得ません。

 更に、アメリカが、蘭印に対してさえ、最後まで、武力援助を与える約束をしていなかった(「戦史叢書 大東亜戦争開戦経緯<4>」 P三九四)ことを考えれば、仏印に武力進駐する可能性は無かったと言わざるを得ないでしょう。

 イギリスにしたところで、当時マレーの戦備すら不十分であったこと(「第二次世界大戦」リデル・ハート フジ出版社 P二五九)を考えれば、仏印に進入する余裕などあろう筈もありません。

 結局のところ、日本は情報収集能力と状況判断能力の不足から必要のない行動を行って、自らの首を絞めたということでしょう。

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