当時の外務大臣松岡洋右が、実際に、三国同盟についてどう考えていたかを、以下に引用します。

 「最早独伊と結ぶか、独伊を蹴って英米の側に立つか、日本としてハッキリした態度を決めなければならぬ時期が来ている。平沼内閣のように日独伊関係を曖昧にして、独伊の提案を蹴った場合、独逸は英国を降し、最悪の場合欧州連邦を作り、米国と妥協して英蘭等欧州連邦の植民地には日本に一指も染めさせぬだろう。日独伊同盟を締結すれば、対米関係は最悪の場合、物資の面では戦争遂行、国民生活の維持の上で非常に困難が来る。それを回避するために、独伊とも英米とも結ぶということは一つの手で、全然不可能とは思えぬ。併しそのためには、支那事変は米国の言う通りに処理し、東亜新秩序等の望はやめ、少なくとも半世紀の間は英米に頭をさげるつもりでなければならぬ。それで国民が承知するか、十万の英霊は満足できるか。且つ又仮に米英側に付くと、一時は物資に苦しまないだろうが、前大戦後にあんな目に会ったのだから、今度はどんな目に会うかわからぬ、況んや蒋介石は抗日ではなく侮日排日を一層強化する。宙ぶらりんでは行かない。米英と提携は考えられぬ。残された道は独伊との提携以外にない」
 一九四〇年九月一四日 三国同盟に関する大本営政府連絡懇談会における外務大臣松岡洋右の発言
(「戦史叢書 大東亜戦争開戦経緯<2>」 P二一三)


 「第二項中の「大東亜における新秩序建設」といふ「大東亜」の意味は、只今の所仏印、タイ国、ビルマ、海峡植民地、蘭印よりニューギニア、ニューカレドニア等を含むオセアニアの島嶼を含むの意味でありまして、(中略)

 第三項中『一国又は数国に依り(公然若は隠密に)攻撃せられたるときは三国は有らゆる政治的、経済的、軍事的方法に依り相互に援助すべきことを約す』の一国とは暗に米国を主として指したものでありまして、其一国により攻撃せられたる場合には、自動的に参戦義務が発する次第でありまして、即ち我国は独伊と米国を対象とする軍事同盟に這入るのであります。(後略)」

 一九四〇年九月一九日 三国同盟に関する御前会議における松岡外務大臣の要綱説明

(「戦史叢書 大東亜戦争開戦経緯<2>」 P二二六)

 以上の証言を見れば、松岡洋右がドイツの勝利を過信し、ドイツ勝利後、東洋にあるイギリス、オランダの植民地を日本のものとするために、アメリカを対象とする軍事同盟である三国同盟の締結に踏み切ったことは明らかです。

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