「二十九日」「于し山が東辺道に」「独立を宣言し」ていません。

  于し山は、東辺道一体の治安維持のため山城鎮保安委員会を組織したに過ぎず、しかもそれは一〇月一七日のことでした。

  (一〇月二八日 幣原外務大臣から在パリ沢田〔国際連盟〕事務局長、在米国出淵大使へ「日本外交文書 満州事変」第一巻 外務省 P三六二)



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