蘭印が、日本に対し、対独再輸出をしないという保証を求めた際、松岡外務大臣は、クレーギー駐日イギリス大使に対して

 「又弱小蘭印が対独再輸出を為さざる保証を我方に要求するが如きは、蘭印の増長を示すものにして、大国日本に対し『ヒュミリェーション』なり。我方断じて斯かる保証を与得ず。

 と述べた後、日本の要求をオランダが受け入れるようにイギリスから圧力かけるようにもとめました。

 この時、クレーギー大使が

 「蘭側が対独再輸出をしない旨の補償を要求するのは、ビジネス上やむを得ないだろうと述べたので、松岡外相はビジネス上もけしからんと反駁した。」

 これでは、「疑うな」という方が無理でしょう。

 ゴムと錫の輸出量を巡って、交渉が難航すると、日本は五月二二日に、大橋外務次官が、パブスト駐日オランダ公使に対し、

 「我方が折角協調的なる態度を以て臨み居るに拘わらず、蘭印側最近の出方は頗る硬化せる様子にて、嘗て了解を遂げたる十三品目に付きても異論を唱え、護謨、錫等の対日輸出に関し、仏印、馬來の分と関連せしめんとするするか如きは不可解の至りなり。
 右は英米辺の指金に依るものと断ぜざるを得ざる所、事態斯くなるに於ては、我政府は芳澤代表の召還を考慮せざるを得ざるに至るべく、尚好ましからざることなるも、それ以上の措置を強制せらるるやも知れざるべし

 との警告的申し入れを行いました。
 そして、交渉が大詰めを迎え、蘭印側から回答期限の通知のあった五月二九日には、石井情 報局第三部長は大橋外務次官と打ち合わせの上、以下のような談話を発表し
ます。

 「蘭印交渉は、蘭側に於て全然独自の立場で日本と交渉し、両者間の経済関係を合理的に調整せんとする意向を示したるに付帝国政府は昨年来使節を送り交渉し、現に芳澤代表が交渉継続中なるが、最近蘭側は従来屡々確約せる物資の供給に付てまでも態度を変更し、其の供給拒絶に傾かんとする模様なるのみならず、其の他の問題に付きても誠意の疑はるるものあり。斯くして日蘭会商は今や重大なる難関に逢着せんとしつつあり。」

 この談話を受けて

 「各新聞はいっせいに警告的にこれを報道した。外務当局の指導したいわゆるプレスキャンペーンであった。
 中央では右プレスキャンペーン、または前期のパブスト公使及びクレーギー大使に対する警告的申し入れが効果的であると考えたようであるが、現地芳澤代表は『蘭印朝野の感情を刺激し』、かえって『蘭側をして譲歩するを得ざらしむる恐れあり』とした。」
 (以上「戦史叢書 大東亜戦争開戦経緯<2>、<4>」より)

 結局、芳澤代表が危惧していた通り、蘭印は、態度を硬化させ、錫については日本の要求を受け入れましたが、生ゴムについては、当初の内示量を削減し、日本の要求の七五%しか認めませんでした。

 つまり、「オランダ側は、いざとなれば対日一戦も辞さぬと大見得を切り、頑な態度を変へようとしなかった。」のではなく、「日本側が、いざとなれば対蘭印一戦も辞さぬ」として、要求の受諾を迫ったのに、蘭印側が反発して、要求を拒否したわけで、主客が転倒しています。




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