| 日蘭会商当初、日本との付き合いの長い蘭印は 「和蘭人は尊大な英国人を何となく好んでおらない。又米国に対しては必ずしもこれに依存しているわけではなく、ただ経済的に大顧客として見ているだけである。」 (ホーフストラーティン) 「一一吋九門、速力三三乃至三五節、全長二五〇米の巡洋戦艦三隻の建造を日本に依頼したい」 (蘭印海軍長官) 等比較的友好的な態度でしたが、九月二七日に三国同盟が成立すると、反独の蘭印の態度は当然のことながら硬化します。 当時、本国オランダは、ドイツに占領されており、ドイツは、蘭印の敵でした。日本は、その敵であるドイツと手を組んだ訳ですから、蘭印が反発するのは避けられません。 対日不信を強める蘭印に、人もあろうに特使の小林自らが追い打ちをかけます。小林は一〇月一五日のスラビンタナ会談において 「会談中蘭側がその最高目標が独逸を屈服せしめ、自由なる和蘭を再建することにある旨を強調し居りたる際、使節は何等前置き無く開口、日本は三国同盟の有無に拘らず万一独逸に敗色濃厚なるときは、之が援助に赴かざるべからずと述べ、蘭側代表に大なる衝撃を与え、往電七八号の趣旨にて語を継ぎたるも、蘭側は一切之に耳をかさざる態度をとり、使節もことの以外に驚き且つ自己の失敗を認むるにいたれり」 (以上「戦史叢書 大東亜戦争開戦経緯<2>」より) という信じられないような失態を演じまい、交渉は完全に行き詰まってしまいます。 とんでもないへまをやった小林は、蘭印側のみならず、日本の随員からもあいそを尽かされ、完全に孤立してしまい、結局、日本に召還されます。 |
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