実際に「独立」を宣言したのは、九月二八日の煕洽(吉林省)と、一一月七日の袁金凱(奉天)と、一一月二九日の張海鵬(とう南)の三件だけです。
「満州を独立国家とすることは満州人の念願だった」割にはあまりにも少ない数です。

 しかも、この三件の内、袁金凱の場合は、前述の通り、そもそも、独立する意志が無かったにも関わらず、関東軍により無理矢理独立を宣言させられたものですから、これを根拠に「満州を独立国家とすることは満州人の念願だった」と主張することはできないことは言うまでもありません。

 残った二件の場合も「独立」には相当強い反対がありました。

 元吉林省政府の首脳部からなる反煕洽派は「寶県に遁れ同県政府内に本月〔一一月〕十一日更に省政府を組織」します。
 (一一月一四日 在ハルビン大橋総領事から幣原外務大臣へ「日本外交文書 満州事変」第一巻 外務省 P三〇四、以下特に断らない限り書名は同一)

 この「反煕洽派吉林省政府は其の後も引き続き活動し」「漢字紙哈爾寶公報」によれば「政府の組織一切完備し(中略)同政府の支配を受くるもの既に二十九県に達し(中略)陸軍第六百八十二団馮占海の部下は改めて同政府衛隊団となり兵力約六千余名に及」ぶという規模になっていました。
 (一二月一一日 在ハルビン大橋総領事から幣原外務大臣へ P三九四)

 しかも、煕洽の「臨時政府各機関の人選は運動及情実に左右せられ鮮かなず脱線ぶりを示し居る為失脚者は勿論一般の人心早くも新政府より離反しつつあり」というありさまでした。
 (一〇月七日 在吉林石射総領事から幣原外務大臣へ P三二九)

 張海鵬の独立計画には、当初から、黒竜江省の軍部が「絶対反対を唱え」(一〇月一〇日 在ハルビン大橋総領事から幣原外務大臣へ P三四三)、「黒竜江省軍の張海鵬に対する戦闘準備は着々と進捗しつつあり」という状況でした。(一〇月一二日 ハルビン特務機関から杉山陸軍次官へ P四三二)

 更に、一〇月一二日に「江〔黒竜江〕省臨時主席代理に任命」された「黒河(Hei-ho)警備司令官馬占山」は張海鵬との対決姿勢を鮮明にします。
(一〇月二八日 幣原外務大臣から在パリ沢田〔国際連盟〕事務局長、在米国出淵大使へ P三六二)

 その後、両者の対立は激化し、遂に一〇月一七日「張海鵬軍の一部」が「江〔嫩江〕橋付近に進出し」て馬占山軍と戦闘になります。

(一〇月一七日 三宅関東軍参謀長から二宮参謀次長へ P四三八)

 このように、満州の独立は、満州の住民の願望だったわけではありません。



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