「帝国国防方針」が制定されたのは、一九〇七年(明治四十年)ですが、制定時点ですでにアメリカは、ロシア、フランスと共に「主なる仮想敵国」とされています。並び順は、ロシア、アメリカ、フランスです。

 つまり、最初から「南北並進論」(細かいことですが、この言い方も変です、普通は「南北併進論」と書きます)なのです。

 さらに、この後、一九一八年(大正七年)に「帝国国防方針」は改訂され、フランスが落ち、代わりに中国が想定敵国に加わります。この時点での並び順は、ロシア、アメリカ、中国の順です。

 そして一九二三年(大正十二年)の改訂で、仮想敵国第一位が、従来のロシアから、アメリカに代わり、並び順がアメリカ、ソ連、中国に変わります。

 問題の一九三六年(昭和一一年)の改訂では、イギリスが新たに仮想敵国に加わると共に、ソ連が、仮想敵国第一位に復帰します。
 しかし、アメリカも、仮想敵国第一位から動かず、仮想敵国の第一位にアメリカ、ソ連が並立するという異常な状況になりました。次位にイギリス及び中国となっています。

 細かいことを言わせていただけば、この一九三六年(昭和一一年)の改訂は、八月ではなく、六月に実施されています。(「戦史叢書 比島攻略戦」)

 従って、史実に基づけば、

 「1938年6月、陸軍は、それまでの「帝国国防方針」が海軍の戦略にもとづいてアメリカを主敵国とするものであったのを、ソ連も主敵国として入れさせ、「米ソ並立」に改訂することに成功した。」

 という表現が正しいでしょう。

 この間違いの原因は、笠原氏が「帝国国防方針」と「国防国策大綱」(「国防国策大綱」とは、「帝国国防方針」で、事実上、陸軍はロシア(後ソ連)を、海軍はアメリカを仮想敵国として、バラバラに戦略を策定しているという状況を改善するため、国防方針を一本化しようと陸軍が企画したもの)をごっちゃにしているのでしょう。

 その傍証として、笠原氏は「一九三六年八月」に「帝国国防方針」が改訂されたと書いていることが挙げられます。

 前述のように、「帝国国防方針」が改訂されたのは一九三六年(昭和一一年)六月ですが、「国防国策大綱」は、一九三六年(昭和一一年)八月に決まっています。

 また「国防国策大綱」の制定において、陸軍が当初主張した北進政策に海軍が反発し、最終的に南北併進の「国策」が決まったという経緯も、笠原氏の「陸軍の戦略にもとづいてソ連を主敵国とする「北進論」であったのを、米英を仮想敵国とする「南進論」を入れさせ、「南北並進論」」にした、という記述と重なることも傍証となります。

 従って、この誤りは、笠原氏が「国防国策大綱」と「帝国国防方針」を同じものだと誤解したことによると思われます。

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