(前略)大統領はマッカラム覚書のF項目、ハワイ海域を基地とする合衆国艦隊を維持する件を議題にのせたことである。リチャードソンはこの提案を聞くと、不満を一気に爆発させた。 「大統領閣下、海軍の先任将校たちは、太平洋における戦争で勝利を収めるうえで必要不可欠な、この国の文民指導者の指導力に信任と信頼を寄せておりません」 リチャードソンは、合衆国艦隊を危険にさらすルーズベルトの計画を承認しなかった。 (28〜29頁) 砲塔の上から六人の報道記者が交代行事の行われている上甲板を見下ろしていたが、この式典の本当の意味に気づく者は恐らくいなかったことだろう。艦隊を危険にさらすことに反対したので、リチヤードソンは艦隊司令長官をクビになったのである。 (74頁) 15 記録に残っているポップアップ巡洋艦による巡航は三度あった。 (1)一九四一年三月十五日から二十一日。米巡ブルックリン、サバンナ、シカゴ、ポートランドの四隻で編制された任務部隊を指揮したジョン・H・ニュートン中将の証言参照。駆逐艦十二隻と共に、日本の領土に隣接する太平洋の中部及び南部を航行した。ハート調査でニュートンは、命令は極秘に口頭で出された、と証言した、PHPT26−340参照。しかし、秘密は漏れていた。オーストラリアの新聞がアメリカ軍艦が南太平洋海域にいることを報じた。ホノルルの日本領事館がこの記事を見て、東京の松岡洋右外相に報告した。松岡への電報はPHPT35の431ぺージ及びPHPT37の1026参照。 (2)二度目の米艦による中部及び南部太平洋の航行は、日本の委任統治領である南洋群島に隣接する海域で行われた。RG24の米巡ソルトレークシティとノーサンプトンの航海日誌、一九四一年七月及び八月分(第二公文書館)参照。 (3)豊後水道でのポップアップ巡航については、米海軍東京付武官極秘通信文書の通し番号220230、一九四一年八月二十三日、RG38、監視局US文書、第二公文書館参照。これは一九九五年一月に公開された。日本の抗議文のコピー一通がFDRに届けられた。」 (51頁 一部改行位置を変更した) 一九四一年三月から七月にかけて、ホワイトハウスの記録によると、ルーズベルトは国際法を無視して、ある任務部隊を、そのようなポップアップ巡洋艦三隻として日本海域に派遣していた。最も挑発的な行動の一つは、瀬戸内海への主要接近水路である豊後水道への出撃であった。豊後水道は九州と四国との間に横たわり、一九四一年には日本帝国海軍お気に入りの行動海域であった。 日本海軍省は東京駐在のジョセフ・グルー米国大使に、次のとおり抗議した。 「七月三十一日の夜(豊後水道)宿毛湾に錨泊中の日本艦艇は、東方から豊後水道に接近するプロペラ音を捕えた。日本海軍の当直駆逐艦が探索して、船体を黒く塗装した二隻の巡洋艦を発見した。二隻の巡洋艦は日本海軍の当直駆逐艦が向かっていくと、煙幕に隠れて南方寄りの方向に見えなくなった」 そして、この抗議文書は「日本海軍将校は、それらの船がアメリカ合衆国巡洋艦であったと信じている」との文言で締めくくられていた。 (27〜28頁) |
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