笠原 十九司 Kasahara, Tokushi(1944.4.6)宇都宮大学・教育学部・社会系・教授
[歴]東京教育大学・文学部・東洋史学
[会]歴史学研究会,日本国際政治学会,東洋史研究会
[研]東第一次大戦期中国民族運動の構造的解明/中国五・四運動史像の再構成
[業]"アジアの中の日本軍〈単著〉"大月書店(1994)
"五・四運動史像の再検討〈共著〉"中央大学出版部(1986)
"中国国民革命史の研究〈共著〉"青木書店(1987)
(電気・電子情報学術振興財団編『研究者・研究課題総覧(1996年版)』紀伊国屋書店 第1分冊 P813)
「一九三六年八月、海軍は、それまでの「帝国国防方針」が陸軍の戦略にもとづいてソ連を主敵国とする「北進論」であったのを、米英を仮想敵国とする「南進論」を入れさせ、「南北並進論」に改訂することに成功した。」
(P 二四)
「南進論」の戦略思想は”中国の「宝庫」をめぐる日米の角逐は、やがて太平洋を舞台とする日米両海軍の一大争覇戦を導かずにはおかない。そのため、対米戦を目標に軍備を強化して南進態勢を固めることが必要であり、その第一段階として中国全土、とくに英米の権益と勢力の集中する華中・華南において日本海軍の制空権、制海権を確立することが急務とされる”というものだった。」
(P 二六)
「もはや、戦闘的には無力で、あらゆる手段をつかって渡江しようと長江の流れに漂う群衆が、殲滅の標的にされた。」
(P 一五八)
「日本軍の捕虜になるよりは長江の中で一緒に死のうと八人が板に乗り、長江にのりだした。夕方の五時ごろだった。
(中略)
そのころ、日本軍の軍艦が長江にやってきて、巡視しながら、長江上の敗残兵を掃射しはじめた。さまざまな器材に乗り、あるいはつかまって長江の流れにただよう中国軍将兵が日本軍の機関銃の餌食となった。また、日本軍艦にぶつけられて漂流道具もろともにひっくり返され、溺死させられた人たちも多かった。戦友たちの無数の死体がたえず近くを流れていく。長江の水は血でそまり、凄惨な光景は見るにたえなかった。軍艦上の日本兵たちが、長江を漂流する無力の戦友たちを殺戮しては拍手し、喜ぶ姿も見えた。このときの怒りは、生涯忘れることができない。」
(P 一五九)
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