*作者* 夜鬼
きみたちは、本当の英雄を知っているか?
耳を澄ませ。そして、聞け……
【ある日・あるとき、ある皇帝の語りしこと】
「なあ、きみ、どう思う?」
ある日皇帝は、部下に尋ねた。
「どう、とは?」
「この世の中には、無数の争いが存在する。争いを、正義対悪という風に単純化する向きもある。その、争いの中で……」
皇帝の目は、歴史の時空を見渡した。
「どっちが勝つ、っていうのはどうやって決まるんだろうな?」
「それは……」
部下は、答えに窮した。
「いろいろな考え方がある。たとえば、正しい方が最後に勝つ、という考え方。ほかには……」
「強い方が勝つ、という考え方ですな」
「そうだ。だが、よくよく考えてみれば、強い方が勝つ、という考え方が一番自然であるように私には思える……」
「正義だろうが悪だろうが、一方よりも強いもう一方が闘いに勝利するのだ、と?」
「うむ。仮に、正義がいつも勝つのだとすれば、それは、正義が常に悪の側の戦士よりも強い力を持つ戦士を送り出しているからに過ぎない……」
「正義が勝つ、といつもいえるとするなら、正義すなわち『強い』から、ということにもなるでしょうな」
「そうだ……結局のところ、そいつが闘いに『敗れた』というとき、敗れた原因は、そいつが悪かったから、正しくなかったから、ではない。ただ単に、そいつが闘っている相手よりも『弱かった』から。それが、そいつの敗れた原因なのだよ……」
「同様に、その者が『勝利した』というとき、その事実はその者が『正しい』ということを意味するのではない。あくまでも、その者が闘いの相手よりすぐれた力を持っていたというにすぎないわけですな」
「うむ。だが、私は、正しいとか悪いとかいう問題を軽視したいのではない。ただ単に、闘いに勝つのはより『強い』者である、という事実を直視したいのだよ」
皇帝はそこで目を閉じ、玉座の中に身を沈めた。
部下にはその光景が、皇帝が瞑想に入ったかのように思えたとのことである。
……。
さあ、問題提起だ
英雄は、どこにいる?
皇帝のいうことは、正しいのか? 間違っているのか?
【殺しの達人が、ある日、ある森の中で】
残念だがあの少女も今日この瞬間までの生命だ。
いま、藪の中に身を潜めているこの俺、サガラの手で、あの少女は喉をかききられて、息絶えることとなる。
美しい血をしぶかせながら……。
俺の手が、震えている。
美しい少女を切り殺す快楽を予感して。
可哀相?
そんなことはない。
昔は、そういう感情もあったかもしらない。
だが、いまの俺に、殺す対象への哀れみとか、同情とかいったものは一切ない。
殺しの味を覚えてしまった、この身体には。
何をいっても無意味だ。
俺は、もう、罪の感覚をなくしてしまった……。
ある意味、狂っているのかもしれない。
そう、狂った人間に殺されるからこそ、美しいのだ。
はあ……。
ただ、俺は別に快楽のためだけに殺すわけでもない。
殺し屋だから……報酬をもらっている。
金のために、そして俺自身の快楽のために、あの少女は殺されるのだ。
そう。 最初は、生活のために始めたことだった……。最初は、人を殺すことに抵抗を覚えた。だが、慣れてしまえば、どうということはない。
結局、人一人の生命に、どこまで値打ちがあるかは怪しいものだ。
俺は、そう思っている。
俺は、そのことを知っている。
人一人の生命など、何でもないということを。
そう、この俺自身の生命を含めて、特にたいした価値などありはしないのだ。
俺が、殺し屋として、何百人も殺してきたからこそ、知っていることだ。
人なんて、死ぬときは、ころりと死ぬ。
いちいち同情してたらきりがない。
殺さなくても、そのうち死ぬわけだしな。
殺し続けていくうちに、殺しを楽しむようになっていった。
職業への適応が進んだわけだ。
悪いだなんて、思っちゃいねえよ。
そうさ……。
ただ、俺も、無差別に人を殺しているわけじゃない。
先ほどもいったように、報酬をもらって、殺しを依頼される。
だが、依頼を全て引き受けるわけじゃない。
この俺の腕を存分に発揮できるような、高度な仕事しか引き受けないのさ。
そう、俺は、自分の腕に誇りを持っている。
俺は、そんじょそこらの殺し屋とは違うのさ。
目の前のこの少女を殺すことの、どこが難しい仕事なのかって?
違う。
この少女……普通の少女とは違うんだ。
この国の、王女さまなのさ。
当然、王女の身辺を警護する騎士がいる……。普段は王宮の中にいるので、うかつに手を出せない。
だからこそ、この俺に依頼がくるのさ。
どこの誰が依頼したなんてことは、気にしない方がいい。
王女なんて、いい身分かもしれないが、ろくなことがない。
常に生命を狙われ、おびえて暮らす、それが王女の現実だ。
王女を殺したがる奴なんて、いくらでもいるのさ。
目的は、人それぞれだがね。
可哀相?
まあ、普通の奴はそう思うかもな。
だが、俺は、何度もいったように、殺しの対象に同情したりはしない。
むしろ、悦びのために進んで殺すのさ。
実際、ここまでくるのに、なかなか苦労したのさ。
王女が、誰だか知らないが、お友達のところに遊びに行くというので、王宮の外に出ていくという情報をつかんだ。
当然、警備の騎士も、兵もいる。
王女が、この森の中で、誰だか知らないが、その、お友達と逢うらしい。
だから俺は森に入り、警備の騎士に近づき、一人ずつ殺していった。
音をたてずに、気づかれないように、手早くな。
いま、王女の身を守る騎士は、一人しかいない。
その騎士は、いま、俺の目の前で、王女の側に立っている。
返り血で、いまの俺の衣は真赤にそまっている。
匂いで気づかれるんじゃないかと不安だが。
別に、警備の者を全て殺していかなくてもいいだろう、というかもしれない。
だが、俺は、殺しに快楽を覚えるようになった人間だ。
仕事のついでに、ぽんぽん殺してしまうのさ。
一人、二人、殺していくうちに、感覚は麻痺していくものだ。
いま王女の警備をする二十人の騎士や兵を殺したところで、それが倫理的にどこまで悪いかの見当は全くつかない。
そのうち、王女たちは、警備の者が殺されていることに気づくだろう。
だが、気づく前に、さくっとやっちまうのさ。
そう……あの騎士も血祭りにあげて、だ。
「……! 何者だ!?」
最後の護衛の騎士が、俺の気配に気づいたようだ。
だが、とき既に遅し。
駆け出していった俺の刃が、王女の無防備な喉に吸いつくところだった。
「あっ……」
俺と目をあわせた王女の顔が、蒼白になる。
だから、同情はしないって。
依頼されたんだ……死ね!!
「させるか! 殺し屋め!」
……おっと。
護衛の騎士が、予想以上にはやい反応を示した。
抜き払った剣が、俺の刃を弾いたのだ。
ちっ。
この騎士は、俺と互角にわたりあえるほどの腕は持っているようだ。
だが、これぐらいの障害がなければ、仕事も面白くない。
「助けを呼んでも無駄だ……。全員俺がやっちまったからな」
「何だと!? 貴様の、その、全身の返り血は……仲間を葬って浴びたのか!?」
護衛の騎士が、怒りに身体を震わせていた。
どんなに怒っても無駄だ。
俺は冷静に、あんたを殺す。
これまで引き受けてきた仕事は、全て成功させた。
今度も……成功させる。
必ず、だ。
「ハンゲアス……」
王女が、騎士の後ろに身を隠す。
ハンゲアスといえば、王宮の騎士団で最強の使い手と聞いている。
どうりで。
「貴様、警備の者を残らず殺していく、この残忍な手口……噂に聞く、殺し屋サガラだな。許さんぞ、王女様まで手にかけようなどと……」
ハンゲアスは俺の隙をうかがっているようだ。
なみの相手ではないが、俺は勝利する。
こいつを倒せば、俺の評判もまた上がるというものだ。
俺は、仕事をこなしていく中で、数多くのつわものを葬ってきた。大金持ちを殺したときには、そいつの雇っていた、世界一の槍の使い手を倒した。まあ、それなりに激しい闘いは経験したが。
東方からやってきた武術の達人を殺してくれといわれて、なしとげたことがある。不思議な格闘技を使う相手だったが、俺はそいつもうちやぶった。
もちろん、無傷というわけじゃない。
これまでの仕事の中で、俺の身体には無数の傷跡がつけられている。ときどき痛む傷もある。あと一歩で腕切断ということにもなりかねない、大きな負傷も経験したことがある。
俺は、無敵だ。
この、全身の傷は、勲章であり、俺を守ってくれるんだ。
ハンゲアスなどという貴族のおぼっちゃん騎士に倒せる相手ではないんだよ、俺は。
しかし……ひとつ、疑問があるな。
いったい、この王女は、危険を冒してまでこの森の中にきて、いったい誰と逢うつもりだったのか?
俺の情報では、王女の「お友達」だということしかわからない……。
いったい何者がこの森にひそむのか?
不確定要素があるのは事実だ。
だが。
何があろうと、俺は油断しないし、負けるつもりはない。
俺には、数多くの困難をくぐりぬけ、数多くのつわものを葬ってきたことで築かれた、巨大な自信がある。
確かな技術と、見事な策略。
磨けば磨くほど一流となり、一流を超え、今日いまここで、目の前の騎士も、王女も葬りさるのさ……。
俺は、殺し屋サガラ。
殺しの道を極めて、今日も闘う。
一種のファンタジーだ。
なあ、きみ、そうだろう?
殺しってのは、ファンタジーなんだよ。
俺は、ファンタジーの世界で、人々に崇拝される殺し屋なのさ……。
別に、うぬぼれてるわけじゃない。
諸君らに、俺の確かな技術を、これからおみせしよう……。
美しい。
美しい、獲物だ。
舌舐めずりをしながら、俺は吼えた。
ほおおおおおおおお
吼えながら、跳躍した。
天高く……。
むささびのように、俺の身体が宙を舞った。
「くうっ……王女さまぁ!」
ハンゲアスが王女の身体を突き飛ばすのがみえた。
「きゃ、きゃあっ」
突き飛ばされた王女が、頭から草むらの中に投げ出される。
もし、王宮で、いや王宮でなくとも通常の状況において、王国の騎士が王女の身体を突き飛ばすようなことをすれば、気の短い王であればその騎士を首切りの刑に処することがあってもおかしくはないだろう。
だが、いまの状況は、「通常」ではなかった。
ここは王宮ではなく、深い森の中の空き地だ。
そして王女はいま、この俺、殺し屋サガラに生命を狙われている。
「ハ、ハンゲアス!」
草むらの中から身を起こした王女が騎士の名を叫ぶのは、決してとがめるためではない。
騎士の身を案じて、その名を呼ぶのだ。
ほおおおおおおおおお
しいいいいいねええええええ
だが俺が跳躍したときに狙っていたのは、王女ではなかった。
ハンゲアス。
このいまいましい騎士を葬りさらなければ、王女を殺すことはできない。
それほど、俺はこの騎士を警戒していた。
長年殺し屋をやってきたせいだろうか、俺は用心深くなっていた。
油断すれば、殺すはずだった相手に、自分がやられることになる。
殺しの世界では、決して気を抜いてはいけないのだ。
だからこそ俺は、確実に王女を殺すために、その騎士をやる必要があった。
その騎士が、俺と互角に渡りあえるだけの、半端でない力量を持った相手であると感じていたがゆえに、俺は、全力で襲いかからなければならなかった。
王女は、いまこの場で死ななければならないのだ。
もしこの場で王女を殺すことに失敗すれば、もう、機会はこないかもしれないのだ。
だから、この騎士を殺し……王女も、必ず殺す!
ふうううううおおおおおおおお
俺の両手が閃き、刃が空を裂いた。
「ちいっ」
騎士ハンゲアスが蒼白な表情で身をひねりながら剣を躍らせた。
かなり大きな剣だが、ハンゲアスはその切先を曲芸のように操ることができた。
ごろごろごろ
ハンゲアスに接触するかしないかという危うい瞬間が過ぎさり、俺の身体が草むらを転がった。
「うんっ……」
俺はうめいた。
俺の肩から、血がこぼれていた。
神業的な身のこなしで、騎士の剣先をかわしたはずだったが、相手の剣技は予想を越えていたようだ。
俺は、既に悟っていた。
騎士は、俺が刃を振り下ろした瞬間に、剣を二度振りまわしたのだ。
剣が一度目の弧を描いたとき、俺はかわすことができた。
だが、二度目の弧が、俺の肩をえぐったのだ。
二度目の弧の動きは、あまりにも速すぎた。
俺が、何とか致命傷をまぬがれたのは、本能的に二度目の弧を避けたからだ。
そう、無意識に避けたからだ。
恐るべき相手だ……。
これまでの闘いの中で、あのように大きな剣を、空中から襲いかかってきた相手に対し、瞬時に二度も振りまわす相手など、はじめてだ。
騎士ハンゲアス。
さすがに強い。
普通の殺し屋なら、もうやられていただろう。
だが……俺は笑った。
「何がおかしい?」
ハンゲアスが歯をむきだしにしてうなった。
おやおや。
その、醜い表情。
おぼっちゃんの顔も台無しだな。
「自分の胸をみてみろ……お前は、俺に勝てない」
「なに!? ああっ……」
胸を見下ろす前に、ハンゲアスの顔が苦痛に歪んだ。
奴は、ゆめにも思わなかっただろう。
俺もまた、二段攻撃を得意とすることを。
「ハンゲアス!? その矢は……」
王女の顔が、何かを予感して悲哀に包まれた。
「な……いつ……私には、みえなかった……」
ハンゲアスの胸に突き立っている、小さな矢。
その矢は、俺が草むらに転がったときに、小さな木の筒を口に当てて、吹き出したものだ。
そう。
俺は別に、天高く跳躍して、刃を振り下ろすことで、相手を殺そうとしたわけじゃない。
相手に攻撃をかわされてから、草むらに転がった、その瞬間に本当の攻撃をかけるつもりでいたのだ。
相手の攻撃をかわしきれず、肩に傷を受けたのは予想外だったが、別に俺の二段攻撃は失敗しなかった。
ハンゲアスの胸に突き立った、小さな矢。
そこから、全身に痺れ薬がまわっていく。
「ああ……お、王女さま……は、早くこの場から……」
ハンゲアスは身体を震わせながら、剣を振りあげると、俺に突進してきた。
捨て身の攻撃か!
相手に痺れ薬がまわっているにも関わらず、俺は警戒した。
ハンゲアスは、なみの騎士ではないのだ。
ざばああああああ
恐ろしい勢いでハンゲアスの剣が振り下ろされる。
曲芸的な動きではない。
そのまま、まっすぐに振り下ろしてきたのだ。
予想外の攻撃だった。
俺はてっきり、ハンゲアスは手首の細かな動きを得意とするのかと思っていた。
こんな風に、あまりにもまっすぐな一撃を加えることもできるだなんて、思わなかったのだ。
まっすぐ。
その攻撃は、あまりにもまっすぐだった。
目を錯乱させるような動きを警戒していた俺は、予想外にまっすぐな一撃に対し、当惑しそうになるのを覚えた。
そう。
ハンゲアスは、そんな俺の心理を読んでいたに違いない。
目にも止まらぬ剣の旋風をみせた後で、今度は、逆に、重い、まっすぐな一撃をしかける。そうすれば、俺が戸惑うだろうと。
なんてこった!
この騎士は、死を間近に感じながら、これほどの策略を練ることができるのだ。
だが……俺も、なみじゃない!
すぱっ
「うん……? なに、まさか、そんな……」
剣を振り下ろした騎士の顔が、驚愕に歪む。
無理もない。
俺が、無造作に頭上に振り上げた両の掌が、剣の切先をはさみこんで、その動きを封じてしまったからだ。
この技は、東洋に伝わるもの。
真剣白刃取りという。
王宮の中で生まれ育ち、広い世界のことを知らないおぼっちゃん騎士には、こんな技があるなどと、予想できなかっただろう。
おまけに、俺は小柄な身体に似合わず、怪力の持ち主ときている。
剣をはさみこんだ両掌が、少しずつねじれていく。
ぱきん!
ハンゲアスの剣の刃が、音をたてて欠けた。
「あ、ああ……」
ハンゲアスは何かいおうとしたが、痺れ薬が唇にまでまわってきたのか、うまく言葉を紡ぐことができない。
これほどの使い手の最後の姿にしては、何とかっこ悪いことか。
俺は笑いながら、短刀を投げつけた。
ハンゲアスの喉に、短刀が柄まで埋まった。
しゅぶぶぶぶぶ
血が、だくだくとこぼれ落ちる。
草むらを、大地を、赤く濡らす。
俺は、笑った。
「ハンゲアス、ハンゲアス! そんな……」
びっくりしたことに、倒れた騎士の身体に、王女がすがりついていた。
逃げないのか……。
俺は何だか拍子抜けしたように思った。
恐怖に逃げ惑う王女を、ゆっくりとなぶり殺す。
そんな楽しみを期待していたからだ。
だが、仕方ない。
こうして、自分から俺の近くにきて、無防備な姿をさらした以上、黙ってみているわけにもいかない。
すみやかに、殺そう。
俺が仕事を終わらせにかかろうとしたとき、騎士の身体に泣きついていた王女が、ふいに身を起こし、俺の方を睨んだ……ように思った。
何だ?
死を前にしても全くおじけつかず、毅然として俺に立ち向かうというのか?
それとも、最も身近な騎士を殺された怒りを、俺にぶつけようとでもいうのか?
どちらにせよ、この王女はもう死ぬ。
死を直前に控えた人間は、ときに奇妙な行動をとるものだ。
わけのわからない言葉を呟きながら、踊りだしてしまう奴もいれば、地面にばたっと寝転がって、笑い声をあげる奴もいる。
このとき、俺を睨みつけるような目をした王女の行動も、死を前にした、飛びっきりの奇行なのだ。
そのときの俺は、そう考えようとした。
だが……違うことに気づいた。
王女は、俺をみているのではなかった。
俺の背後にある何かを、みつめているようだった。
「コウちゃん……きたのね」
王女の口から紡がれた言葉を耳にして、俺はやや戸惑った。
はあ?
コウちゃん?
俺は、思わず背後を振り返っていた。
そして……仰天した。
「う、うわああああああ!」
俺は、思わず叫び声をあげていた。
無理もない。
振り向いた俺の顔が、いつの間にかすぐ後ろに立っていた、みすぼらしい姿の少年の顔と、接触しそうになったからだ。
な、何だ?
何だ何だ?
俺は、動揺していた。
こんなことは、ありえない。
普通の人なら、いつの間にか背後に誰か立っていれば、驚きはするが、ありえないとは思わないだろう。
だが、この俺……殺し屋サガラが、誰かに背後をとられるなどということは、少なくともここ二十年というもの、全くなかったことなのだ。
なぜだ?
なぜ、この少年の気配を感じることができなかった?
本能的に、その少年から距離をとりながら、俺は冷や汗を禁じえなかった。
「コウちゃん……ひさしぶりね……」
王女は、涙をぬぐいながら、よく通る声で少年に話しかけた。
少年は、黙ってうなずくだけだった。
「血の匂いに、ひかれたのかしら……いっぱい死んだもの……わたし、いま、ひとりぼっちになっちゃった。みて。ハンゲアスも死んだの……わたしのほかに、あなたを知る唯一の人が」
「…………」
王女の言葉にその少年「コウちゃん」は答えず、黙ってハンゲアスの死体を見下ろしていた。
「くそっ、びっくりさせやがって……」
俺はようやく、動揺を沈めつつあった。
何でもないことだ。
強敵ハンゲアスを倒したことで、俺は少し気にゆるみが生じていたのだ。
そこに、もともと気配というものが希薄なこの少年が近づいてきたので、つい、背後をとられてしまったというに過ぎない。
もちろん、殺し屋が背後をとられるというのは屈辱であり、おそらく俺の生涯で最大の汚点ともいえることかもしれない。
だが、俺にそんな屈辱を味わわせたこの少年は、生かしておくつもりはない。
殺し屋サガラが背後をとられたという事実を隠蔽するためにも、この少年と、この王女には、ここで死んでもらう。
そのときの俺は、まさか、この少年が意図的に気配を殺していたのだなどとは、ゆめにも思わなかった。
もともと気配の希薄な、ぼうっとした感じの少年というのはよくいるもので、この少年も、そんなボケボケの一人なのだろうと思っていた。
生まれつき、気配を人に感じさせない才能に恵まれているが、それだけの存在。
自分で、自分の能力を使って何かをしたりといったことは、できない存在。
俺は、その少年を、取るに足らない存在と認識するよう努めた。
といっても、油断するつもりもなかった。
相手が少年だからといって、油断すれば、やはり、自分がやられることになる……そういう無意識の警戒が、俺から緊張感を抜かせなかった。
「……」
少年は、黙って手を差し伸べた。
「コウちゃん……」
その手を、王女が握る。
子供じみた男女交際だ。
そのまま、おててつないで死んでろ!
俺は突進した。
少年の喉首に、刃を滑らせようとする。
がしっ
その俺の手を、少年がつかんだ。
……えっ?
俺の心臓に、冷たいものが触れたように思った。
つかんでいた。
確かにその少年は、俺の腕をつかんでいたのだ!
俺の動きが……みえたのか?
俺は、今度こそ動揺するものを感じた。
慌てて手を振りほどこうとする。
その瞬間……。
ばしーん
俺の身体が天空を逆さに舞い上がり、草むらの中に無造作に放り投げられた。
はあ?
何だ?
一瞬で天使となり、一瞬で地の底に堕ちた。そんな感じだ。
俺はくらくらする頭を振りながら起きあがり、少年から距離をとる。
「コウちゃん……怒ってる!?」
王女が、不安そうな目で傍らの少年をみつめていた。
くそっ……。
俺はやっと、事態を正しく認識するつもりになった。
この少年は、ただ者じゃない。
俺は、そのことを素直に認めた。
もっとひねりのきいた攻撃をかけるべきだったと、後悔する。
なるべく油断しないようにはしていたのだが、やはり、相手が少年ということに、なめた考えを持ったのかもしれない。
自分で自分が信じられない気がした。
いいか。
どんな相手であろうとも、油断してはならないのだぞ、サガラ!
自分で自分に言い聞かせながら、俺は、慎重に後ずさった。
どう仕掛けるか。
相手がただ者でないとわかった以上、俺は最大限の用心深さを発動させた。
だが……。
何という展開なのだ、これは!
これまでの生涯で最強の敵といえる、王宮の騎士を死闘の末葬りさった俺が、こんなガキに翻弄されるとは。
だが、俺は、決して負けない。
これまでの仕事で、修羅場は何度もくぐっている。
想像を絶する事態を経験したのは、何も今回が初めてではないのだ。
世界は広い。
俺は、そのことをよく知っているつもりでいた。
「コウちゃん……わかったわ……」
会話をかわしたようにはみえなかったが、王女は少年の何らかの意志を悟って、空き地の隅に身をひいていった。
少年が、突っ立ったまま、黙って俺をみすえる。
「……」
何かいえ!
そう怒鳴りたい気持ちを俺は必死でおさえこんだ。
考えてみれば、俺は殺し屋のくせに饒舌だという気がする。
直接口を開いてはいなくとも、心の中がかなりおしゃべりだ。
いちいち、状況を自分に解説している。
だが、それは、常に冷静な認識を持とうとしていることの現れでもある……。
早く、この少年をやらなければ。
俺は、不思議と気がはやろうとするのを抑えながら、無造作に突っ立ったままの少年を睨みすえた。
再び、心中に驚愕が走るのを感じる。
隙がないのだ!
一見すると、何も考えずに立っているだけに思える少年だが、いざ何かを仕掛けようとすると、思いとどまる力が働く。
どこから何を仕掛けようとも、この少年には通じないという気がした。
その感じを、本能的に、俺の心は、「隙がない」と表現したのだ。
この少年には、隙がない。
俺の攻撃を、いまかいまかと待ち構えている。
そういう気がした。
俺は、必死に、頭の中で、これまで死闘を繰り広げてきた無数の戦士たちの思い出をひっぱりだし、目の前の少年に近い姿をみいだそうとした。
だが、俺の記憶の中のどこにも、この少年に近い存在、は見受けられなかった。
一瞬、東洋の武道家に似ているかとも思ったが、この少年が何となく発している迫力は、東洋的という風に何かの文化と関連づけられるものではなく、純粋に野性のものだった。
では、この少年は、動物に似ているのか?
いや。
クマにも、タカにも、オオカミにも、この少年は似ていない。
この少年は、明らかに、何らかの意志を持っているように思えた。
だが、その意志の正体は、俺には全く見当がつかなかった。
これまで出会ったことのない種類の相手?
まさか。
俺は不安を払おうとした。
だが、意志はあるが、思想はないようにも思えた。
と、そんなことを考えている間にも、ときは過ぎてゆく。
決着をつけなければ。
何をあせっている?
これまでの人生、修羅場の連続だったんだろ?
ほおおおおおおおおお
俺は、吼えて、跳躍した。
天高く……。
うん?
宙に舞った俺の目が、またしても驚愕に見開かれた。
少年が、俺と同じ高さに存在していたのだ!
ざざっ
驚きのあまり、何もすることができず、俺はただ着地した。
少年もまた、俺の背後に着地する。
俺が跳躍した瞬間、少年もまた跳躍し、空中で俺たちはすれ違ったのだ。
背筋に、冷たいものがはしった。
俺の動きが、みえるだけではない。
読んでいるのか?
少年が、俺と同じ跳躍力を持つことも驚きだったが、空中ですれ違いながら、何もしないという行為の持つ意味がわからず、俺は途方に暮れた。
俺は動揺してしまったが、少年は攻撃を仕掛けようと思えば、空中で、できたはずなのだ。
なぜ、何もしない?
わけがわからなかった。
出直すべきだろうか?
得体の知れない相手が出てきた以上、今日のところはひくべきなのかもしれない。
いや。
今日の機会を逃せば、もう、王女をやることはできないかもしれない。
やるなら、いまやるしかないという直感のようなものが、俺を支配した。
「……」
俺たちは、無言のまま、睨みあった。
何という、目だ。
少年の目があまりにも透き通っていたので、俺はまたまた動揺していた。
みつめていると、吸い込まれそうな目。
だがその目の奥には、一種の狂気が眠っているように思えた。
星が、目の奥をちらついているように思った。
何の表情も、意志もうかがえない目。
「お前はいった……」
問いかけようとした瞬間、俺の心臓が止まった。
背後から、誰かが刺し貫いていた。
「な……? あ……」
俺は、今度こそ信じられなかった。
いつの間にか、王女が俺の背後にまわっていて、女性が護身用に持つ小さな刀で俺を背後から貫いたなど、どうして信じられようか。
少なくともこの王女は、俺の背後をとれるようなタマではなかったはずだ。
なぜ?
いったい、何が起こった?
「ハンゲアス、そして、多くの騎士の生命を奪った、仇です。さらに……あなたはいままで殺し屋として、多くの人を殺してきたでしょう。その罪も、いま償わなければなりません」
王女は、気丈な口調でそういうと、小刀を、俺の身体から、抜いた……。
そのとき、俺は、悟った。
少年の瞳をみつめていて、吸い込まれそうだと感じたとき、俺は一種の術にかかっていたのだ。
少年の瞳に吸いつけられていて、背後に忍びよる王女の気配を感じられない状態にさせられていたのだ。
何ということだ。
こんな闘い方をする相手は、本当にはじめてだ。
この少年は、いったい?
信じられない。
この俺、殺し屋サガラは、ここで死ぬのか?
ハンゲアスは倒したのに?
もう仕事は終わるはずだったのに?
なぜだ、なぜだ。
殺しは、ファンタジーだったはずだ。
ただし、殺される側ではなく、殺す側にとっての。
その、ファンタジーが、いま、終わる……?
バカな……。
やめてくれ。
信じられない。
ふと、ハンゲアスの一撃を真剣白刃とりで受け止めたとき、俺の脳裏によぎった言葉が、浮かびあがってきた。
王宮の中で生まれ育ち、広い世界のことを知らないおぼっちゃん騎士には、こんな技があるなどと、予想できなかっただろう。
しかし、何ということだ……。
無数の闘いをくぐり抜けてきた、この俺、サガラでさえも、世界の広さを本当にはわかっていなかったというのか?
世界には、まだまだ、俺よりも強い力が眠っていたというのか?
俺は、いつの間にか、うぬぼれていたというのか?
意識の消えゆく最後の瞬間……俺はこの世の何かに向かって絶叫していた。
世界は、俺より広かったのか?
「……」
倒れ伏したサガラを、少年は黙って見下ろしていた。
「コウちゃん……ありがとう。やっぱり、私を助けてくれましたね」
王女は、動揺から、威厳を取り戻しつつあった。
「コウちゃん……きてくれますね? 私は、あなたを迎えにきたのです。この、暗い森を出て……いいですね? 私たちのために……」
「……」
少年は、黙ってうなずいた。
後の世の人々は、知ることとなる。その少年こそ、王国が危機に陥ったときどこからともなく現れる、「孤高の騎士団長」にして無敵の英雄コウ・クルーズの、若きころの姿であったことを。
(コウ・クルーズ編おわり)