「さて、ひとやすみじゃ」
おじいさんは、石にこしをおろし、手ぬぐいであせをふきました。
ここはむかし、上杉謙信のお城があった春日山です。
下に、春日山神社がみえます。
この神社は、小川未明が育ったところ。
未明の命日にあわせてまい年、おばあさんといっしょに、城山にのぼってくるのでした。
でも、ことしは、おばあさんがいません。
きょねんの夏に、おじいさんひとりをのこして、なくなってしまったのです。
「ひとりは、つまらんのう」と、おじいさんは立ちあがりました。
そのとき、そばでなにかがうごいたのです。
モンシロチョウでした。
「おや、いっしょにあるいてくれるんか」
モンシロチョウは、おじいさんの肩のちかくを、ひらひらと、とんでいます。
ときどき、道草をするように、林のなかにはいってみえなくなりますが、
いつのまにか、肩あたりをまた、とんでいるのです。
「まるで、ばあさんみたいじゃな」
おじいさんは、にっこりとしました。
おばあさんもよく、道草をしたものです。
花をみつけては足をとめ、おじいさんによばれて、あわてて道にもどってくるのでした。
神社のうらからつづく、しずかな山道です。
人のすくないこの道は、おばあさんお気にいりの道でした。
ピピピ、チチチと、小鳥がないています。
キョッキョッキョッときこえるのは、ホトトギスでしょうか。
しばらくあるくと、おじいさんのあたまのうえに、空がおおきくひろがりました。
山のてっぺんについたのです。
おじいさんは、しんこきゅうしました。
ふかくいきをすうと、むかしは、つかれたからだのすみずみまでが、よろこんだものでした。
でも、きょうは、鼻のつけねのあたりに、なみだのたねが、たまるようでした。
「やっぱり来るんじゃなかったわ」
ぽつりと、おじいさんはいいました。
おべんとうをあけようとしたときでした。
モンシロチョウが、おじいさんのかおにぶつかってきたのです。
おじいさんは、おもわず目をつぶりました。
チョウのりん粉が、目にはいったかもしれません。
そうっと、目をあけました。
だいじょうぶ。チョウも元気にとんでいます。
でも、あたりはうすぐらくなっていました。
おじいさんの目のまえに、おおきなお城が、高くそびえたっていたのです。
お城のなかから、よろいかぶとのサムライが、おおぜい出てきました。
「毘」のはたじるしをつけています。
土ぼこりをあげてサムライが走るなかを、さっきのモンシロチョウがとんでいるのです。
土ぼこりにまばたきすると、きゅうに目の前があかるくなりました。
むざんにくずれたお城のまわりに、草や木が、ぼうぼうとのびています。
おじいさんはおどろいて、なん回も目をぱちくりしました。
お城はしだいに見えなくなり、ついに、かげもかたちもなくなりました。
目をひらくたびに、すこしずつ、森の緑がふえていきました。
けしきはかわるのに、ずっと、あのモンシロチョウがとんでいます。
「あ、あれは……」
おじいさんは、目をおおきくひらきました。
わかい女の人が、わかい男の人と手をつないで、山をあるいています。
わかいころのおばあさんでした。そして、わかいころのおじいさん。
ふたりのわらい声がきこえてきました。
おばあさんのわらい声は、まるですずがなるように、ころころと、かろやかでした。
おじいさんは、目がうるんで、まぶたをとじました。
目をあけると、おばあさんの手をひいている、おじいさんがいました。
あのむらさき色のおそろいは、きょねんのふくです。
おばあさんは、つかれたようすをしていました。
「山のぼりは、ばあさんにはきつかったじゃろうて。つれてくるんじゃなかったわ」
こかげでやすんでいるおばあさんの手に、モンシロチョウがとまりました。
おばあさんは、りょう手でそっと、チョウをつつみました。
でも、手をひらくと、モンシロチョウはいなくなっていたのです。
おじいさんは、はっとしました。
「あのモンシロチョウじゃったのか!」
きょ年、城山をおりながら、ずっとふしぎにおもっていたのです。
おばあさんも、なくなるまでずっと、
モンシロチョウがどこにきえたのだろうと、話していました。
目のまえには、もう、チョウも、おばあさんのすがたも、ありませんでした。
松のはっぱをゆらして、かぜがふきました。
かぜのなかに、すずの音が、ころころと、ひびいていました。