1700年頃のフランスの戦闘ガレー船 概略:  長さ(船底あるいは竜骨で)48.7m、幅13m。 (やや大きめのガレー船であるが、これが標準との説もある)  1700年にはフランスはダンケルクに6隻、マルセーユに34隻の計40隻のガレー船 を所持していた。  大西洋では、ガレー船は大変な労苦を払わなければ航行できない。構造上外洋 に漕ぎ出すことに適さず、沿岸から離れられない。一つの港から他の港に移動す るために沖合いに出る時は、極めて穏やかな天気で、海が全く静かな日を必ず選 ぶのだが、そういった日は大西洋では極めて稀である。  地中海では、干満がほとんどなく、凪の時間が大西洋に比べて遥かに長いため、 凪の日に帆船を奇襲、拿捕することができる。  平和時においては、国王の命令によって身分の高い人物をイタリア諸国に送り 届けるためにのみ利用された。  戦時においても、沿岸から僅かしか離れられず、穏やかな天候でなければ戦闘 をしかけられないため、戦闘にもかなりの制限を受ける。帆走可能な天気であれ ば、当時の帆船のほうが移動力ははるかに高い。帆船が航行し、会戦が行われる のは帆走に適した風の吹く日だが、ガレー船は強風下では沈没する危険があるた め会戦に参加しにくい。  極度に長いため、速長比が良く船足は速いが、旋回が大変難しく、実際旋回す るのにしばしば半時間以上かかる。  これを解決するため、1700年頃ダンケルクで船首の先端に必要な時に取りつけ られる舵が開発され、後向きに漕いで船首を船尾とするための漕ぎ方の変更の考 案とによって、船体の方向転換せずに退却できるようになり、大砲のある船首を 敵に向けたまま退却しながら戦闘の継続が可能になった。  標準の乗組員500人で、そのうち300人が囚人なため、囚人監視に人手が必要な ため上陸して攻撃に割けるのは50〜60人程度まで。200人は将校、士官、兵士、水 夫である。  接舷戦の場合、囚人漕手はむしろ敵対しやすいので、手錠をはめ、船尾の大砲 には散弾を装填して漕手の右列と左列を狙っている。ガレー船に入る100人の兵士 のうち、50人は漕手の監視に当たっており、つねに銃口を向けている。  ガレー船同士の場合、弱いほうが容易に戦闘を回避できるため、戦闘は稀にし か起こらない。  1748年、フランスではガレー船は廃止された。 甲板:  中甲板は無く、甲板もしくは上甲板が深さ1.95mの船倉を覆っており、両舷に向 かって緩やかに傾いている。甲板の高さはガレー船の中央で2.27mで、左右の舷側 までの間で33cm下がっている。  武装を施し、積荷や乗員を乗せた時、甲板は水に浸かり、水が甲板の上を出入 りする。中央の、甲板の上を走っている中央通路は厚板の細長い箱の形になって いて、水を止める役割をする。この中央通路によって、帆柱を立てるために必要 な開口部から甲板下の船倉に水が侵入するのを防いでいる。中央通路の高さまで 厚板で高く作られている開口部の所に、船倉に下りるための昇降口がある。  漕手の座っている腰掛には足置板と呼ばれる幅65cm、高さ33cmの板があり、好 きな時に除けることができる。水はこの下を流れるので漕手の足は濡れずにすむ。 中央通路:  船首から船尾まで幅1.3mの中央通路がある。側面は2枚の堅牢な樫の板ででき ており、その間隔は幅1.1m。箱型でテントや乗組員の身の回り品の袋を入れるの に使われている。上側は横方向の板に覆われており、各腰掛に割り当てられてい てそれを綺麗にしたり必要なときは開けたり閉めたりする。板で覆われると通路 となり、その左右に漕手達の腰掛が並ぶ。中央通路を通らなければガレー船の前 後に移動することはできない。二人が並んで歩くことは困難。 舷側路:  ガレー船の左右の端に舷側路と呼ばれている幅65cmの廊下のようなものがあり、 これは中央通路の高さに作られている。兵士や水夫は舷側路で生活するが、横に 寝ることはできず、極めて窮屈な格好で、自分の身の回りの品を入れた袋の上に 座っている。海に出た時は士官も同様で、船倉は食料や操帆具でいっぱいなので、 誰も寝られる場所はない。排泄もここで行われる。 腰掛:  ガレー船には左右に25個、計50個の腰掛がある。腰掛の長さは3.25mで、厚さ は16.3cmの一本の梁でできてる。腰掛と腰掛の間隔は1.3mである。梁は漕手の尻 の高さに支柱で支えられている。腰掛の端は舷側から中央通路まで届いている。 腰掛には、詰め物とか古い麻布が小さなクッションの形に付いており、その上を 牛革で覆っている。この皮は足置き板までぶら下がっている。そこに6人のガレー 船徒刑囚漕手が鎖で繋がれている。腰掛、足置板、足架、前方足架、横板(カル チエ)からなる。 アポスチ、櫂:  ガレー船の左右に端から端まで舷側路に接して厚さ32.5cmの梁(アポスチ)が 走っており、これがガレー船の舷側をなしている。この梁の上に櫂の水掻が外側 になるように櫂が固定されており、その太い方の先端は中央通路に向いている。 櫂の長さは標準で12m、大型ガレー船のものでも13.5m程度でそのうち約1/4 が船の内側にあり、アポスチから中央通路に達している。 この部分が一番太く重い先端で、外側に出ている櫂の3/4の部分と同じ重さで、 アポスチの上に置かれている櫂は平衡が取れている。櫂のこの先端部分は太くて 握ることができないので、マニーユと呼ばれる木製の把手が付けられており、6 人の漕手がそれぞれこの把手を持って櫂に取りつく。 船倉:  船倉は6個の部屋からなり、 1.小船室:船尾の下の小さな部屋。小さいベッドが一つ。船長室。 2.配膳室:船長の食料、下着、銀器、炊事用具一式等の保管。 3.付属室:乗組員のビール、葡萄酒、油、酢、飲料水などの液体食品。ラード 塩漬肉、魚の干物、チーズ等の保管。 4.糧食室:乗組員のビスケット、えんどう豆、そら豆、米などの乾燥食品の保 管。 5.酒類庫:ガレー船の中央にあり、操船指揮官が瓶売りか量り売りで売るビー ルや葡萄酒があり、操船指揮官の利益となる。ガレー船の帆や転とを巻くために も使われる。火薬庫に通じており、砲主長だけがその鍵を持ち、管理をしている。 6.船首室:錨の綱や他の様々の綱類。外科用具類。海上では病室となるが、巻 いた綱の上に寝かされるので大変寝心地が悪い。冬期を含む停泊中は病人は街の 施療院にいれられる。 帆柱:  大小二つの帆柱がある。中央に立っている大帆柱の高さは23m。檣楼もなく、 綱梯子(オーバン)もない。水夫たちは、ぶら下がっている一本の綱を使って帆 柱の頂上まで上がる。帆桁を結びつけるためのアマールと呼ばれる綱がついてい る。アンテナと呼ばれる横の帆桁は約33.4m。トランケと呼ばれる小帆柱は船首 に立っており、長さ17m、高さ33.8m。1700年頃、ダンケルクで、アルチモンと 呼ばれる3番目の柱が開発された。後部の上級士官の詰め所である船尾室に接し て必要に応じて立てられ、高さ6.5m、帆型13m。これはガレー船の旋回を補助す るためにしか使われない。 帆:  帆柱にはラティーンと呼ばれる三角帆を一つしか張らないが、大小様々な帆が あって、風に応じて使い分ける。帆の張り方は大帆柱と小帆柱に違いはない。  帆を張ろうとするときには帆桁を腰掛の上まで低く下げ、囚人たちが帆桁に帆 を取り付ける。風があまり強くなければ、帆桁を帆柱の頂上まで揚げる。揚がる につれてひとりでに展帆する。  帆桁は帆柱のほぼ2倍の長さがあるので、帆桁の太い方の先端はほとんど帆柱 の根元位低い所に達し、帆桁の細いほうの先端は帆柱の頂上に達し、その先端よ り13m高い。  帆が広げられた時にはその一端が帆桁の細い方の先端に取りつけられており、 帆は鳩の翼の形をしている。  風が強すぎる時には、帆を取りつけた帆桁を揚げるのは危険で、帆桁が頂上の 適切な位置に上げられ、風をうまく受ける様整える前に風が吹きつけると、船が 転覆するかもしれない。この危険を避けるために、帆を帆桁に取り付けると、帆 を巻き、その巻いた帆を乾燥したハリエニシダという草で結び付ける。このよう にして帆を揚げた後、帆足綱を下に力いっぱい引っ張るとハリエニシダがすべて 切れて、一瞬のうちに帆が張れる。  水夫たちは帆を取りつけたり外したりするために帆桁に登ることはないので、 帆を着け外しする時には帆桁を下げねばならない。戦闘に行く時には十分注意し て種々の綱や時には鎖で帆桁を取りつけるが、砲弾が帆桁の中央を吊り下げてい る吊綱を切断すると帆桁はガレー船の上に落ちる。この帆桁は極めて大きく重い ので、これが落ちれば多くの人間が潰され、船が沈んでしまう可能性がある。 船首楼:  武装は船首に集中している。  ランバードと呼ばれる船首楼はガレー船の端に2mの高さに作られた甲板であ り、長さ2m。幅13mで船首の幅一杯を占めている。この甲板の上で水夫や揚帆 係が集まり、トランケの帆を操作する。  敵船接舷を行う時は、名誉ある部署はこことなる。擲弾兵や他の兵士はここか ら敵船に飛び移り、将校はここから彼らを指揮する。 大砲:  5門の青銅砲を装備。  最も威力のあるものは「中央通路」と呼ばれ、中央通路の中に、箱に入れられ た様に隠されており、18kgの砲弾を発射するカルヴァリン砲1門である。これは 樫の木の堅固な板の発射台の上に置かれ、中央通路の厚板の内側に固定されてい る。  この発射台は傾斜しており、その高さは船首と同じで、下降しながら大帆柱の 根元に達している。この大砲を発射する時は、中央通路の中で装填し、左右二つ の滑車を使って船首に引き上げる。発射台にはたっぷり脂が塗られていてさほど 力を入れなくても船首の砲眼まで滑っていく。砲尾の閉鎖機の下側に刻んである 溝を用いて、望む方向に狙いを着ける。この大砲を発射すると反動で発射台の下 まで下降して中央通路の中に収まる。発射の度にこれを繰り返す。  この砲の両側に2門ずつ、合計4門の大砲がある。右側にある2門のうちの一 つは12kgの砲弾用であり、もう一つは9kgの砲弾用である。左側の2門は同じ口 径である。これら4門は、船首楼の下のガレー船の甲板に固定されている丈夫な 砲架の上に置かれていて、「中央通路」の様に発射した時後退しない。  ガレー船の甲板は低く、軍船の水線ぎりぎりを狙うことができるので、敵船に 多大な損害を与えることができる。 短艇:  ガレー船は常にカイクと呼ばれる大きいランチとカヌーと呼ばれる小さい短艇 を持つ。  カイクは10人の自由人がいて、各人がそれぞれ一本の櫂を漕ぎ、さらにそれを 操縦する1人の舵手がいる。カイクは、停泊地から出発する時に錨を上げるため や、真水やその他の荷物をガレー船に運び込む時に使われる。  荷物の上げ下ろしは滑車巻上げ機を用いる。  カヌーには、それを漕ぐ8人の自由人と1人の舵手がいる。これは専ら将校に 利用される。  港あるいは停泊地から出発する時は、滑車巻上げ機を使って1隻を右側に、も う1隻を左側に積み込む。これらは腰掛の上方2m程の架台と呼ばれる2本の支 柱の上に置かれ、漕櫂の邪魔にならない。通信において必要な際はこれらの短艇 が使われる。  ガレー船が錨を下ろすとすぐに、短艇は2隻とも海に降ろされ、ガレー船の後 に繋がれて厳しい監視下に置かれる。乗組員やトルコ人奴隷はここに煙草を吸い に行くことが許される。国王の禁令でガレー船内では将校も船長も誰であろうと 煙草を吸うことは禁止されており、違反すれば鼻と耳を削がれる。 漕手:  約300人の漕手は囚人もしくは新教徒で、鉄の足輪によって鎖に繋がれてい る。殺人や放火等の重犯罪者は死刑となるのが通例なので、ガレー船に繋がれる のは軽〜中程度の犯罪を犯したものがほとんどである。戦闘で負傷したものは、 罪科によらず釈放されるが、新教徒のみは別扱いを受け拘束された。  囚人の判決の理由は時期によって偏りがある。1680年から1715年までにガレー 船に送られた囚人は38,000人、脱走兵が45%、普通刑事犯が31%、密輸入が16%、プ ロテスタントが3.7%、1716年から1748年まででは22、400人、脱走兵が5%、普通刑 事犯が45%、密輸入が44%、プロテスタントが0.6%。常時1万人程の囚人が漕手と なっていた。  囚人たちによる漕手は囚人団(シウルム)として扱われる。  操船指揮官と2人の副操船指揮官は各腰掛の漕手を区分する。最も強く頑強な ものは最も外側、第1漕手(ヴォーグ・アバン)、以下順に内側に第6漕手まで。  操船指揮官は船首にいて、航海中は各腰掛を巡回し漕手を監督する。その時は 手に太い綱を持ち、漕手が全力を出さないと容赦なく打つ。しばしば漕手は櫂の 上で力尽きるが、その場合綱で死ぬまで打ちつけ、死んだ場合は海に投げ捨てら れる。  脱走計画を知っていて報せなかった者は綱打刑、漕手がある腰掛から脱走した 場合、その腰掛の残りの5人と、前後の腰掛の12人、計17人が綱打刑を受ける。  脱走したトルコ人奴隷あるいは徒刑囚(漕手)を連れてきた市内あるいは市外 の人々には20エキュ(銀貨:4リーブル)の報奨金が与えられる。脱走者が出る と、ガレー船団は警報としてこの逃走を報せる号砲を間隔を置いて打つ。  ガレー船徒刑の判決を受けて以降に死亡した者は、護送中に死亡したものも含 め、1715年までは51.7%、1716年から1748年までは53.2%。その内約70%が3年以内 に死亡している。1年以内の死亡率は全死亡者の1/3に達する。数年で釈放される 者から20年、30年以上に及ぶ者、終身刑の者まで様々であったが、新教徒は終身 刑であった。 操船指揮官:  操船指揮官は船長の命令を受け取りやすいように船尾の前で船長の傍らに居る。 次席と三席の2人の副操船指揮官は中央通路の上におり、1人は中央、もう1人 は前部に居る。これら2人は手に綱を持ち、それで囚人の裸の体を打擲する。彼 らは常に操船指揮官の命令に注意を払っている。操船指揮官は、船長から命令を 受けると銀鎖のついた銀の笛を吹いてある種の音を出す。副操船指揮官も自分の 笛で同じ音を繰り返す。別の笛の合図があるまで、漕手は笛の音に従って漕ぎつ づける。彼らの選考の基準は残忍さと無慈悲さであるとされる。 漕ぎ方:  ヴォーグ(櫂の操作、または漕ぎ方)には様々な種類がある。  鎖で繋がれた6人の裸の漕手が船尾の方を向いて櫂を握り、足置板に取りつけ られた太い棒である足架に片足を乗せ、もう一方の足は前の腰掛の上に掛け、体 を長く伸ばし、腕に力をこめ、前の席の漕手の下まで櫂を押し出す。次いで櫂が 海を叩くように持ち上げる。櫂を引きながら同時に腰を浮かす。後方に身を投げ、 自分の腰掛の上に落ちるように座る。この時の激しい衝撃のため腰掛にクッショ ンが必要となる。  1本の櫂の調子が外れると、失敗したこの櫂の前方の漕手は、腰掛の上に尻を 落とす際に、海に入りすぎるのが遅すぎたこの櫂で頭を強く打つ。失敗した櫂の 漕手達は、後方の漕手の櫂に頭をぶつける。この怪我はしばしば重く、しかも操 船指揮官達が彼らを綱で酷く殴りつける。  この重労働を1日10〜12時間、場合によっては一日中繰り返す。連続した漕櫂 が必要で漕手の疲労が限界に達すると、操船指揮官は漕手が気を失わないように、 葡萄酒に浸したビスケットを漕手の口に入れる。この方法で、漕手は櫂から手を 離さないで漕ぎつづけることになる。  この労働はあまりに苛酷なため、頻繁に用いると多数の漕手が死んでしまう。 そのため適度な風が使える時は、帆を揚げて漕手は休む。帆の操作は水夫や自由 人の受持ちである。また24時間以上の航行の場合、輪番制をとり半数ずつが90分 交代で櫂を漕ぐ。片側後12個の船尾組、前13個の船首組の腰掛がそれぞれ交代し、 それぞれ左右で合計24本、26本の櫂が働く。号笛によってそれらは一瞬で交代す る。  帆も櫂も、操作は全て声ではなく笛の音によってなされるが、これは長期の頻 繁な使用によって覚えられる。船長の命令で操船指揮官は笛によって全員を指揮 する。全ての操作や労働は、種々の別の音によって表される。  戦闘時や時には将官らの気まぐれによって、全力漕櫂と呼ばれる2倍のスピー ドでの漕櫂が行われる。疲労は通常の4倍以上とも言われる。 食べ物:  5(6)人の将校 …1日660gのビスケット、各週1kgのラード、1kgの塩漬牛肉、1kgの鱈、1kg のチーズ、0.25kgのオリーブ油、0.5kgの米、1kgの豆、9.8Lの葡萄酒  27人の海軍下士官 …1日660gのビスケット又はパン、各週0.5kgのラード、0.5kgの塩漬牛肉、0.5kg の鱈、0.5kgのチーズ、0.12kgのオリーブ油、0.12kgの米、0.5kgの豆、1.6Lの葡 萄酒  100人の兵士、25人の漕櫂船員、26人の船首楼水夫、8人の武装監視兵、3人の見 習水夫の合計162人 …1日660gのビスケット、各週0.5kgのラード、0.5kgの塩漬牛肉、0.5kgの鱈、 0.25kgのチーズ、0.12kgのオリーブ油、0.25kgの米、0.5kgの豆、1.6Lの葡萄酒  300人の漕手 …漕手が与えられる食物は豆で、小手桶50杯の悪臭を放つ煮汁を入れた大鍋の中 にほんの少しの油と塩を入れて、わずかに煮ただけのもので、どうしようもなく 空腹でなければ食べることができない。この馬豆と呼ばれる小さく黒い豆は普通 鳩に与える豆であり、これらが各人に1日120gずつ与えられた。これ以外には1 日780gのビスケットが支給された。 乗組員の報酬:  船首楼水夫、漕手、トルコ人奴隷を除く士官や乗組員は、その支払いは常に冬 と夏。ガレー船の武装解除中には食料だけが提供されない。ダンケルクでは兵舎 が提供されたが、マルセーユでは自費で宿泊していた。  5(6)人の将校 …1人の船団長(船団に1人だけ)…階級は准将。 …1人の船長…年棒12,000リーブル、ガレー船が武装中は、食卓費として毎月500 リーブルを受け取り、その食卓で5人の将校と1人の配属司祭が食事を取る。…階 級は大佐。 …1人の副官…年棒4,000リーブル。…階級は中佐。 …1人の次席副官…年棒2,000リーブル。…階級は大尉。 …1人の軍旗官…年棒1,200リーブル。…階級は中尉。 …1人の軍旗保管官…年棒700リーブル。ガレー船団司令官によって支払われる。  6人の上級士官 …1人の配属司祭…月額60リーブル。 …1人の首席航海官…月額50リーブル。 …1人の国王書記官…月額50リーブル。 …1人の首席外科医…月額50リーブル。 …1人の操船指揮官…月額30リーブル。 …1人の首席砲手…月額30リーブル。  27人の海軍下士官・役人 …4人の操舵官…月額20リーブル…舵を担当する。 …1人の副航海官…月額25リーブル。 …2人の副操船指揮官…月額20リーブル。 …1人の監視官…月額20リーブル。 …1人の副監視官…月額15リーブル。 …1人の樽管理管…月額25リーブル…樽の管理をする。 …1人の櫂管理管…月額20リーブル…櫂の管理をする。 …1人の首席填隙官…月額20リーブル…船舶の板と板の間に松脂等を詰める作業 の指揮。 …4人の水夫指揮官…月額15リーブル…水夫に命令し、短艇を指揮する。 …1人の操櫂船員長…月額12リーブル…漕櫂船員を指揮し、必要に応じて自分も 漕ぐ。 …1人の給仕長…月額12リーブル…食料調達。 …1人の海兵隊長…月額18リーブル…首席中隊長。 …4人の軍曹…月額15リーブル。 …4人の伍長…月額9リーブル。  100人の兵士…月額7.5リーブル。  25人の操櫂船員…月額7リーブル…徒刑囚と共に漕ぎ、死亡したり病気になっ た囚人漕手に代わる。  26人の船首楼水夫…月額9リーブル…帆の操作を担当する。ガレー船の武装中 しか俸給も食料も与えられない。武装を解いた時は解雇される。  8人の武装監視兵…月額7リーブル…漕手団の監視を担当し、徒刑囚が街に出 る時には、サーベルを持って引率する。  3人の見習水夫…月額5リーブル…操船指揮官になるために笛の訓練を施し、 慈悲心を持たぬよう冷酷に教育する。  200人の漕手(徒刑囚)…食料のみ  50人のトルコ人奴隷…食料のみ 士官の就寝設備:  航行中は操船の邪魔にならずに休息できる場所がないので、士官も乗組員も睡 眠のために横になることはない。船倉も装備で一杯なので、常時そこに居るのは 各部屋の見習水夫位である。兵士は舷側路の自分の身の回り品の袋の上に座って いる。水夫や漕櫂船員や下級士官は船首楼や他の居心地の悪い所に、場所を見つ けて座っている。将校たちは船尾室の椅子や肱掛椅子に座っている。  武装中でガレー船が錨を下ろしていたり港にいる時には、テントを張る。この テントは青と白の縞のある丈夫な綿と亜麻の布でできており、ガレー船の端から 端まで届いている。テントは間隔を置いて立てられたシェーブルと呼ばれる太い 木の支柱で持ち上げられており、テントをアーチ型に張るためにはその支柱の高 さは様々である。船尾の端では2.6mであり、船首の端では2mである。下方はガ レー船の左右の舷側に達している。このテントはピンと張られ舷側に固定されて いるので、ガレー船全体を覆っており、その形と張り方から激しい雨でも雨漏り しない。  テントが張られると、全員が休息する。日中ならそれぞれ食事をしたり賃仕事 をしたりして時を過ごす。水夫や船員たちは笛やタンバリンの音に合わせて踊っ たりする。夕食後は士官達のそれぞれの腰掛の所に、徒刑囚たちが長さ2m、幅 1mのテーブルをしつらえる。このテーブルは、木や鉄でできている2本の横木 の上に載せられている。この横木は4本の支柱で支えられているが、支柱は2本 ずつそれぞれ隣り合わせの腰掛に打ち込まれている。横木の上に置かれたテーブ ルは、腰掛の座席の上方1mの所にある。士官達は羊毛などの上質のマットレス を昼間は船倉に仕舞っており、夜は各人がこのテーブルの上にマットレスを敷き、 木の棒で支えられている枕を置き、それからシーツと掛布団をかける。続いて非 常に丈夫な綿布の天蓋でそれ全体を包み、その天辺を上方のテントに取り付けた 綱と滑車に吊り下げる。  夜間の照明は角灯ないしカンテラで、船尾から船首まで、テントから下げられ た様々な角灯によって明るく照らされている。  これらのベッドは速やかに作られ、その後笛によって漕手団に就寝の合図が下 される。士官や乗組員は好きな時に寝ることができるが、漕手団は就寝の合図以 後は誰一人立っていたり喋ったり動いたりすることはできない。排泄は舷側で行 うので、必要のある時は「舷側路です」と叫ばなければならない。監視官や監視 の武装兵士が「行け」と許可しない限り、舷側に行くことはできない。  水夫たちは、大テントに覆われていない船首楼の両側に一つずつ天蓋を作り、 この中で寝る。兵士たちは、舷側路の上で、できるだけ楽になるような格好で蹲 る。漕手達は自分たちの場所で足架に座り、腰掛に頭をもたせかける。 冬営:  通常は10月末頃から、ガレー船は武装解除され、港に停泊する。船団は港に 入る前に必ず大砲用の火薬を下ろす。入港は、船尾を埠頭に向け、船長の年齢順 に埠頭に沿って並べる。ガレー船から埠頭に上がるために、歩み板と呼ばれる橋 を架ける。帆柱を倒し、中央通路の中にしまう。帆桁は腰掛の上に横たえる。次 に大砲や武器弾薬や帆や綱類や錨やその他のものを片付ける。  給与の支払われない船首楼水夫と沿岸水先案内人を解雇する。その他の乗組員 は操船指揮官、監視官、監視の武装兵士を除く士官から船長まで全て上陸して冬 期を過ごすが、囚人である漕手はガレー船に留まる。第1漕手は腰掛の頭である ので、腰掛で足を乗せる脚台を使って寝ることができる。第2漕手は櫂が届く範 囲の上甲板の腰掛(ラミエ)で寝ることができる。冬には櫂がとり外されるので ラミエを利用できる。残りの4人は板切れなどで腰掛の間に寝床を作るか、舷側 路で寝る。  船にはテントを1枚、寒くなると2枚張る。内側のテントは生地の粗い麻布で できており、テント内を凍死しない程度に暖めることができる。火は使えないし、 藁などもない。  日の出とともにガレー船団指揮官が一発の号砲を打ち、常に船内で寝ている操 船指揮官が、監視官や武装管氏兵と一緒に笛を吹かせて漕手を起床させる。この 号砲は日没後にも打たれ、就寝の命令となる。起床が遅れると綱打刑。  起床後最初の仕事は、ベッドをたたみ、腰掛を整頓して掃除し、手桶の水を何 杯もかけて洗う。次にブート・フォールと呼ばれる6.5mの太い棒でテントを揚げ る。こうして空気と明かりを取り入れるが、寒い時には風の当たらない方向だけ を開ける。これが終わると腰掛に座ってなにか収入になるような手仕事をする。 何もしないでいることは許されない。これによって稼がれたわずかな金は、たい てい酒代として操船指揮官の元に回収される。  技能のある者はガレー船の正面の河岸に板の仮小屋を立てることを許される。 彼らは毎朝そこに繋がれ、夕方にはガレー船に繋がれる。監視人はこれらの者か ら監視料と鎖の着脱の手数料として1日1ソル(1/20リーブル)を取りたてる。 また、同様に1ソルを支払ったものは船内を自由に移動することや、許可を得て 港のある街に賃仕事をしにいくことが許される。  船内外の賃仕事の他に、強制的な労働として、毎日、ガレー船1隻に付き24人 が呼び出され労役に従事する。たいていは海軍の武器庫の装帆具や船具や道具類 の点検や、移動、清掃の重労働である。また、「突風」と呼ばれる船内清掃が週 に何度か課せられる。腰掛を分解し、各腰掛に備え付けの鉄の削り器で腰掛の各 部分を磨く。次いで海から汲み上げた水を使って甲板を洗う。最後に道具を全部 片付けて腰掛を整える。約3時間かかる労働である。  3月になると、新たな労役が増加する。船底からフォールと呼ばれる鳩の卵ぐ らいの大きさのバラストとなる小石を取り出す。この小石を柳の手篭に入れ、船 底から運び上げ、ガレー船の前の河岸まで運び、海水で小石を洗って綺麗にする。 小石が乾くと、再び船底に戻す。これに7〜8日かかる。さらにバラストが揚げ られている合間に、船底を掃除して修理したり填隙したりする。ガレー船の修理 が終わると錨綱の検査、新たな索具の入手と装備に数日かかる。次いで帆の検査 と修繕が行われる。ガレー船には製帆手がいないので、これも囚人の労役である。 その他テントやベッドやその他必要な布類が作られ、いろいろな物の修繕が行わ れる。  4月の初めになると宮廷から武装命令がでる。このガレー船の武装は、獣脂塗 装から始まる。ガレー船を他のガレー船の上に横倒しにして、竜骨が水面の上に 現れるようにして竜骨から上の片面に融けた獣脂を塗り、同様にして逆の面に塗 る。この作業は操櫂を除けば、あらゆる労役の中で最も骨の折れるものである。 続いて大砲、帆柱、錨、帆、綱、糧食、武器弾薬などを積みこむ。囚人はこれら の労役であまりに疲れ果ててしまうので、しばしば海に出る前に回復に数日を要 する。 漕手の衣服:  各徒刑囚は毎年2枚のシャツを与えられる。又同じ布地の半ズボンを2枚与え られるが、これはむしろ女性のスカートの様なもので、徒刑囚の足鎖があるため 頭から着れる様になっている。スカートのように作られたこのズボンは膝まで届 く。その他に、赤色の荒い生地でできた靴下あるいは股引を一足与えられる。  靴は与えられない。冬期に陸上で働かせる時には監視人が靴を貸し与え、船に 帰ると取り返す。  2年毎に赤い荒い生地の上着が与えられる。これは一片の布地を二つに折り、 前後に垂らして天辺に頭を通す穴をあけ、左右を縫い合わせたものである。  前は膝の少し上、後はそれより16cm程下まで垂れている。  他に毎年非常に短い赤い羊毛の頭巾が一つ与えられる。短いのは、耳を覆わな いためである。  2年毎に、太い羊毛を縦糸にして、牛の毛で作った粗地の頭巾付き外套が与え られる。この外套は部屋着の様に作られていて踵まで届く。このマントには頭巾 が付いており、カプチン僧の頭巾に似ている。これが徒刑囚の衣服の内で最も立 派なものである。夜寝る時にはマットレス兼毛布として使われ、冬には昼間にも それを着こんでいる。 グランド・レアル(大御座船)とパトロンヌ(女守護者):  ラ・レアルという名称は、もともとその船が国王に属しているフランス軍艦で あることを示す。1526年からフランスのガレー艦隊の旗艦がラ・レアルまたはグ ランド・レアルと呼ばれ、国王と指揮官の旗が掲げられていた。  初期のラ・レアルは26対の漕手座を持つ場合を普通型とし、33対の漕手座を持 つ場合を特別型とした。通常1本のオールに5人の漕手がついたので、普通型の 場合260人、特別型で7人漕ぎだと462人の漕手が必要だった。  1700年頃のグランド・レアルやパトロンヌは構造の点では普通のガレー船と同 じで、大きさが大きいだけである。  長さは58.5m、幅が15.6mである。漕手用腰掛が60席あり、各櫂には6人(時 には7人)の囚人漕手が取りつく。上級士官と下級士官の人員数は普通のガレー 船と同じであるが、将校の数は多い。  ガレー船団総司令長官(最高の貴族に与えられる名誉上の称号)が海に出る時 にはこの船に乗るが、そうしたことは非常に稀である。  このガレー船の船長は常に船団長であり、大帆柱に四角の旗を揚げている。他 の船団長は小帆柱にしかその旗を揚げない。  グランド・レアルの将校は、船長、副船長、副官、次席副官、軍旗官、4人の 軍旗保管官(提督の乗船中は大軍旗が揚げられるので、軍旗保管官も全員乗船し ている)、幕僚長、海軍監察官、1人もしくは2人の志願将校の計12(13)人。  これに120人の兵士、35人の船首楼水夫、35人の漕櫂船員、360人の徒刑囚漕手、 60人のトルコ人奴隷  さらに6人の上級士官、27人の下級士官、10人の武装監視兵、5人の見習水夫、 をあわせて670(671)人、総司令官が乗船している時は、軍旗保管官も全員揃うの で700人となる。  パトロンヌと呼ばれるガレー船はグランド・レアルと構造も大きさも同じであ る。乗組員の数も同じであるが、将校の数がわずかに少ない。副総司令官が海に 来る時には、パトロンヌに乗る。このガレー船の船長も船団長である。グランド・ レアルが海に出ていない時には、パトロンヌが大帆柱に四角の旗を揚げる。  これら2隻のガレー船の囚人漕手の外套も頭巾も青色である。他のガレー船の それは赤色である。 フランスにおけるガレー船の出費:  ルイ14世の治世(1700年代前半)において、40隻のガレー船が維持されている。  他の軍船に比してガレー船は負担がかかる。囚人以外の多数の乗組員は軍船の 乗組員の俸給よりもはるかに高額な俸給をうける。しかも普通の軍船は、平和時 や武装解除の期間は商工の俸給だけとなるが、ガレー船では常時維持である。  イタリアの共和国の場合、費用のかかり方ははるかに少ない。これらのガレー 船は国家の保護は受けるが個人の有力者の所有物で、国家の必要に応じて補助金 とともに国家に使用される。また常時沿岸を襲撃する外敵の侵入を防いだり、外 敵に対して拿捕略奪を行って費用を相殺している。