[頼久寺] [町並み] [高梁市郷土資料館]


頼久寺

室町時代に城主上野兵部少輔頼久の菩提寺として建てられた禅寺・頼久寺。 その起こりは、足利尊氏・直義が夢窓国師のすすめで、 後醍湖天皇や戦没将士の冥福を祈るために国ごとに建てた、備中の安国寺といわれる。 この寺の庭園は、慶長8年頃(1603)に代官小堀遠州が作庭したもので、 江戸初期の禅院式枯山水の庭園として有名。俗に鶴亀の庭と呼ばれ、 鶴島、亀島の石組み、飛び石の配置の妙に加えて、はるかに望む愛  山を借景にとり入れるなど、禅寺独特の枯淡幽玄の趣だ。

町並み

伯備線が開通した大正15年までの主な交通機関は、高梁川を上下する高瀬舟で、 高梁は産物集散の用地でもあった。 旅人たちも多く集まり商家も賑わった。町家が軒を並べる商店街にもその名残りがみられるし、 河岸の土蔵にも当時の繁栄がうかがえる。町の通りは敵を防ぐ目的もあって、 辻々で少しずらせたり曲折させて城下のようすを見通せない工夫がしてある。

高梁市郷土資料館

紺屋町筋をぶらぶら歩けば、キリスト教会と並んで、ひときわ目立つ木造洋風建物がある。 高梁市郷土資料館だ。明治時代に高梁尋常小学校として建てられたもので、 高梁の町の江戸時代から昭和初期にかけての生活用具を集め展示してある。 なかでも、酒造りの道具や祭礼のときに使った千歳楽(山車)は面白い。

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