オーステルベーク周辺はアーンエム郊外の高級住宅地として知られていて、瀟洒な住宅が数多く在ります。1944年当時も同様で、ハルテン・ステインホテルは最初はドイツ軍、モーデル元帥参謀のハンス・クレープス中将の司令部、イギリス軍の降下後は英・第1空挺師団長:アーカート少将の司令部として激戦の舞台となりました。(モーデル元帥の司令部となった「ターフェルベルフ・ホテルも探したのですが、現存するのかどうかも不明でした。)

映画にもこの場所は登場し、無線機の故障で補給機と連絡が取れず、補給物資を受け取る事が出来ないシーンやラストのシーンなど重要な場面の舞台となります。映画の中のワンシーン敵の勢力下の場所に落ちた投下物資に向かって走る将兵の話は実話で館内ではその勇敢な行為を称える展示もありました。

 激しい戦闘によってハルテン・ステインホテルは破壊されましたが、戦後直ぐの1949年には復旧され、「マーケット・ガーデン」作戦の歴史を伝える「空挺博物館」として貴重な資料を展示しています。


(左)入り口の部分設置された記念碑。英・第1空挺師団の将兵に対して「あなた方の事は忘れません。」と記されています。

(中)ホテル周辺は1944年当時と同じく鹿が放し飼いされている庭園となっています。

(右)空挺博物館周囲には1944年の実戦で戦闘に使用された17ポンド砲と1945年4月8日にアーンエムに侵攻し占領したカナダ軍のM4シャーマンが展示されています。これも整備が行き届いていて、実働可能に見えます。


輸送機に物資投下地点を知らせる空挺隊員。

無線機の故障は深刻で輸送部隊には正確な投下位置が伝わっておらず予定の場所に投下した物資は殆どがドイツ軍占拠の場所に投下される事が多く、英軍は弾薬・医療品の不足に悩まされます。

ドイツ軍はこの地域に多数の狙撃兵を配置した為、数十メートル先に投下された物資を回収出来ない状況が多発した様です。


ハルテン・ステインホテルはイギリス軍の司令部以外にも、戦時救護所も設置され、多くの負傷者が治療を受けました。

撮影地点はほぼ同一の場所で、現在は鹿の放牧地となってます(ホテルの左手奥側)。当時の凄惨な面影は無く、長閑な雰囲気でした。


ハルテン・ステイン ホテル周辺の防御陣地の情景を幾つか...。

(左)3インチ迫撃砲陣地の第1大隊、Tierney二等兵(左)とMcDowell軍曹(右)。砲の仰角が接近戦を物語っています。

(中)105ミリ榴弾砲は多数が配備されていて、防御に活躍しました。(第3大隊)

(右)第1大隊の6ボンド対戦車砲。第1大隊は早々に独軍と遭遇した為、陣地の構築も早く、防御陣地の要となりました。


(左)塹壕で防御体制の第1大隊の将兵、資料では狙撃兵と記されていました。

(中)同じく第1大隊の将兵です、対戦車チームで中央の兵士はPIATを装備しています。

(右)第3大隊の将兵と思われます。通信士官がステン軽機装備で守備しています。