「マーケット・ガーデン」作戦の最大の激戦がアーンエム・低ライン川を跨ぐ道路橋を巡る、英・第1空挺師団フロスト大隊と独・SS戦車師団との戦闘と言っても過言ではないでしょう。圧倒的な兵力差の戦闘での英軍兵士の激闘は映画「遠すぎた橋」にもリアルに描かれています。(アーンエムにはもう一つ鉄道橋が在りますが、独軍により爆破されたので戦闘は道路橋の奪取が戦闘目標となります。) アーンエムの道路橋は「マーケット・ガーデン」作戦の戦闘では健在でしたが、作戦の終了後は戦略的意義を失った事やドイツ軍への牽制の意味で1944年10月7日に連合軍重爆撃機編隊によって大空襲を受けて橋は倒壊し、アーンエム市街も壊滅してしまいます。最終的に、アーンエムが連合軍によって解放されたのは1945年4月8日カナダ軍が進攻しての事です。 第二次大戦集結後直ぐの1946年には街の全面的復旧が始まり、アーンエムの道路橋は戦闘に加わった英軍兵士を称え、以前のままの姿で大隊長「ジョン
フロスト」氏の名を冠して再建されました。(右側、上の写真、中央に移る赤い案内板は、英・第1空挺師団のシンボル、ペガサスが描かれ、「ジョン・フロスト
橋」と標示されています。) |
 |
2000年 4月のジョン
フロスト橋。 当初はこの橋を渡るつもりでしたけど...、色々と考え込んでしまい渡らずに帰りました。 |
|
フロスト大隊の降伏後の写真です。エルストで続く戦闘に備え、早々に残骸が撤去されました。 |
 |
|
|
アーンエム道路橋。
|
|
|
(左)ジョン フロスト橋(西側、エイセビウス教会鐘楼から)。
(中)戦闘直前の偵察写真。 (右)1946年、復旧が始まった市街。 |
|
|
|
(左)橋の袂にはライン川クルーズの波止場があり、一帯は公園として整備されています。 (中)これも、戦闘前の撮影です、複雑に入り組んだ町並みが良く判り、この一軒々々で争奪戦が起きて...。 (右)スピットファイア機よりの撮影。橋上の壊滅した独・クレープナ偵察隊の残骸が判ります。日時は、状況から9月18午後または19日と思われます。 低ライン川沿いの道路に面し橋を挟んで左側の建物がJ
フロスト中佐の司令部。右側の倉庫の様な建物(学校)がE・マケイ大尉の司令部となります。 |
|
 |
 |
(左)道路橋周辺の攻防が色分けされ図示されています。青色の家屋がイギリス軍の拠点を示し、赤の矢印がドイツ軍の進路を示しています。 (右)「Close Combat: A Bridge Too Far」のアーンエム道路橋のシナリオです。リサーチが良く為されていて資料としてアーンエムまで持参しました。(現地では好評でコピーを置いてきました。) |
|
|
|
(左)ジョン
フロスト中佐の司令部跡、現在は有名なBASF社の社屋となっています。 (中)エリク
マケイ大尉の司令部跡は更地となっています。この様な工事の際には、銃弾や遺骨が発掘される事があるそうです。 (右)アーンエムの戦闘に投入されたドイツ軍重戦車は第506重戦車大隊のティーガーUが有名ですが、文献、実録にティーガーT型の存在を示す物があり、その証明となる写真が在りました。(真中の写真と同じ場所です。)
|
|
|
(左)エイセビウス教会鐘楼から西、オーステルベーク方向を望んだ写真です。交通量の増大に伴い、ジョンフロスト橋だけでは対処しきれず、もう一つ橋(ネルソン・マンデラ橋)が建設されています。 (右)同じく、鐘楼から北側を望んだ写真。戦時中の写真と比較して大きく変貌している様子が良く判り、低地で有名なオランダのイメージとは違い丘陵地に広がった街である事も判ります。 この場所にドイツ軍狙撃兵が陣取った為、フロスト大隊は苦しめられた、との記録が実感出来ました。
|