『大穴』  Odds Against

(1965年作品)


 日本では、「競馬シリーズ」に『大穴』というタイトルをつけて売り出したが、きっとギャンブル小説かなにかと勘違いして、食わず嫌いしている人がいるものと思う。しかも作者が元騎手と聞けば、史上に残る作家とはふつう思わないだろう(誤解ないように言っておくが、騎手を侮辱しているのではない。一つの頂点を極めた人間が、二つ目も頂点に立つなんてふつうは思わないだろう)。

 さて、本書は「競馬シリーズ」でも最も愛されている主人公シッド・ハレーが初登場した作品である。
 著者にとっても一番愛着のある登場人物だと思う。それを裏付けるように、ディック・フランシスの他の主人公にはみられない(続刊というのはあったが)、14年後の再登場を果たすのだ(『利腕』)。しかも、そのまた16年後に再々登場するのである(『敵手』)。
 なぜか? それはシッドが著者自身の分身だからだ。元チャンピオン・ジョッキー、そして志半ばに競馬場を去る。そして第二の人生でも成功。フランシスは自叙伝『女王陛下の騎手』に何度か補追を書いているが、「シッド」シリーズは、第二の自叙伝というわけだ(シッドはフランシスほど年をとってはいないが)。
 片腕不随の主人公という設定は、未練を残しつつ騎手生活に終止符を打たざるを得ない男をぜひとも描きたかったに違いない。

 シッド・ハレー(Sid Halley)(31歳)
 障害の元チャンピオン・ジョッキー。ところが2年前、レース中の事故で片腕を回復不能なほど損傷。未練を残しながら、やむなく騎手を断念する。
 請われてハント・ラドナー探偵社に就職するが、2年間、空気が萎んだような無為な時を過ごす。ところが、シッドの義父や、探偵社のボス・ラドナーらの挑発(?)、そしてある事件での屈辱感に沸き立ち、第二の天性(探偵の素養)が目を覚ます。そして、ある競馬場をめぐる策謀と対決していくのだ。

 シッドは恋慕を残しながら妻と別居中。修復は不能(作中で離婚)。ところが、義父チャールズ・ロランドとは今も深い親交で結ばれている。ロランドは、作品を彩る名脇役の一人だ。退役海軍少将。66歳。当初は娘が騎手と結婚することに猛反対、シッドを相手にもしなかった。ところがひょんなきっかけでシッドの明敏さを悟り、以後急速に親交が深まる。
 もう一人の名脇役は、相棒のチコ・バーンズ。ラドナー探偵社の同僚で、柔道の達人でもある。事件解決にシッドと奮闘する。

 『大穴』『利腕』『敵手』と、シッド三部作を続けて読んだらまた面白いかも。