『名門』  Banker

(1982年作品)


 ティモシイ・エカタリン。ポール・エカタエリン・マーチャント・バンクの融資部社員。曾祖父、祖父、そして伯父と、代々が築いてきた銀行だが、ティムの父親はその才能がなく、両親とも放蕩生活をつづけ、その財を食いつぶしてしまった。だが、伯父は幼いときからティムの才能を見抜いており、強く入社を迫った。しぶしぶ入った銀行だったが、いまや仕事を楽しんでいるし、その才能を発揮している。会長のヘンリイ・シップトン、融資部上司の取締役ゴードン・マイクルズからも信頼を受け、ゴードンの病気療養中は代役を任される。そこで才ある若手漫画家を発掘し、成功を収めるなどし、取締役に昇進する。
 密かにゴードンの妻ジュディスに恋をし、暗にその気持ちを彼女にほのめかすが、ゴードンとの関係を考えて一線を越えずにすんでいる。
 仕事では順風満帆のようだったが……。
 ある日、ゴードンの招待で自動車ディーラーのディスデイル・スミスのアスコット競馬場のボックスに出かけた。ゴードン夫妻、ヘンリイ夫妻などのほか、ゴードン夫妻の友人で薬剤師のペネロピ・ウォーナー、手かざしと薬草で馬の病気を治す(東洋でいえば立派な医学=気功と漢方薬=中国医学だが)という有名だが怪しげな治療師コールダー・ジャクスンなどが居合わせた。歯車が狂い出したのは、このときからか。そこでみたサンドキャスルの強烈な追込み。その勇姿がいまだ鮮明なとき、種馬牧場を経営するオリヴァ・ノゥルズからサンドキャスルを種馬として買い取るために500万ポンドの融資の依頼を受ける。取締役のなかには強烈に反対する者もいたが、予備調査を終えたティムは、融資を決定する(日本の銀行だったら、とても考えられないことだ。門前払いは間違いない)。
 ところが1年後、考えられないことが起こる。サンドキャスルの子供に奇形児、死産が頻出したのだ。これでは種馬としての価値は地に落ち、オリヴァは破産、エカタリン社の融資も不良債権と化し、融資を決定したティムの立場もなくなる。サンドキャスルを詳細に検査しても、何の異常も認められない。対策を考えていたティムは、そこに恐ろしい陰謀を嗅ぎつける。自己の立場と銀行の信用、そしてサンドキャスルの名誉を回復するため、ティムは持ち前の英知と行動力を駆使して犯行の姿、残忍な犯人に迫る。

 「あなたは、危険というものがよくわかっていないようね?」
 「どういう意味ですか?」
 「つまり……わたしはあの日、アスコットで、あなたが何も考えずにいきなりあの少年とナイフに体をぶっつけて行ったのを見ている。あの時、あなたが刺されて重傷を負う可能性が十分あったのよ。それに、サンドキャスルをつかまえるためにあなたがとびついて、涙が出るほど怯えた、とジニイがいったわ。自殺的行為だって……それなのに、あなたはちっとも気にしていないみたいだわ。しかも、あの夜アスコットで、死と触れ合いながら興奮もしないで、警官の質問に退屈しきっていたのを覚えてるわ……」
 彼女の言葉がしだいに消えていった。私は考えて、理由と答えを見いだした。
 「これまでのわたしの人生で」私が真剣な口調で言った、「死ぬかもしれない、という恐怖心を抱くようなことは何一つ起きていない。どうやら、わたしは……ばかげたことのように聞こえるのはわかっていますが……自分が死ぬという可能性はありえない、と考えているようです」