『興奮』  For Kicks

(1965年作品)


 日本での出版第1作目である。初期作品群では最も評判の高い作品である。したがって、フランシス作品のすべてを訳している菊池光(Mitsu)氏が日本で出版化するにあたり、第1作目に選んだのであろうと思う。

 主人公ダニエル・ローク。27歳。オーストラリアの若き牧場経営主。弁護士だった父と母を事故で失い、一人手で3人の弟妹(17,16,13歳)を学校へ入れ養っている。
 そこへある日、英国障害競馬の理事であるオクトーバー卿の訪問を受ける。英国で最近10回ほど、勝ち馬がレース後、興奮剤を使われた顕著な兆候を示しているにもかかわらず、いかなる検査でも陰性という結果だった。新手の薬物か? あらゆる手をつくしてもわからない。理事会が調査を依頼した新聞記者は、何かをつかむ前に交通事故で(?)死亡してしまった。興奮剤を与えるのは、厩舎内部の者だ。もはや内部から探るしかない。なぜ、オクトーバー卿はオーストラリアに? そしてロークに依頼するのか?
 「そのオーストラリア訛りだ……ロンドンの下町訛りに非常に近い」。教育ある英国人を馬丁(厩務員)として送り込むと、物の言い方でばれてしまう。(ロークが実際行ってみたら違ったので、最初は苦労した)。「あなたは、われわれの難問を解決できる理想的人物だ。」
 ロークは未成年の弟妹たちを養うため、この9年間休むことなく働いてきた。まだ、当分学校へやらねばならない。だが、持ち前の冒険心を振り払うことができず、結局引き受けることになり、英国へと飛ぶ。

 既に30年以上も前に書かれた作品であり、ロークの忍び込んだ厩舎のような厩務員の扱いは今ではないだろうが、英国に根づいている競馬というものが随所に感じられ、まさにフランシスにしか描けないような飼葉の香りに満ちた作品である。

 ロークは、スパイと悟られないよう、牧場主から馬丁になりすまし、強い自尊心に邪魔されながら、ある時はいかにも不正を働きそうな者にみせかけ、ある時は臆病者にみせかけ、事件の核心へと迫る。
 周囲を冷静に判断する明晰な頭脳と、多少のことには挫けないタフな精神。かといって、完璧人間ではなく、弱音を吐きそうになりながら自己にうち勝つところが、フランシス作品の主人公の魅力を引き立てるところだ。自尊心は強いが、自己中心的でなく周囲に気を配る。特に弱い者には優しい。そして走るネズミにも的中させるダーツの名人。そして、女性の目にはちょっといい男にみえるらしい。

 オクトーバー卿の二人の娘、正反対の性格、奔放な妹と純真な姉。ロークを父が送ったスパイだとは気づかず、それぞれのその性格から、ロークをめぐって作品を彩る。

 そして、どんな不正行為だったのか。これはまさに思いもかけないような真相だ。ロークはこの事実を解き明かし、事件は解決したかにみえたが。……最後にきて……???
 あとはやっぱり書いたらいかんよね。

 夜が深まった。時間がすぎて行った。月が上って明るく輝いていた。太古以来の荒れた高地が波うっているのを見つめていると、あまり独創的でない思いがうかんできた。地球がいかに美しく、そこに住む猿人類がいかに邪悪であることよ。金銭欲、破壊癖、残忍性、権力欲のとりこになったホモ・サピエンスども。サピエンというのは知恵がある、思慮がある、賢明な、という意味のはずだ。なんというお笑いだ。このように美しい地球なら、もっと優しい、正気な人類を作り出すべきだ。  (作中より)



  興奮