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| 秋晴れの好日。私は東京駅より長野新幹線あさま503号に乗 |
| り、軽井沢駅に到着した。乗車率120%の大盛況ぶりだ。 |
| 改札口付近には「あさま開業5周年」の大きな垂れ幕がかかって |
| いた。この長野新幹線は、5年前長野オリンピックの開催にあわ |
| せてつくられたものだ。今回の私の目的は、軽井沢での |
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リゾートでも買い物でもない。旧信越本線横川〜軽井沢間の廃線
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跡を歩きに来たのだ。この区間が開通したのは明治26年(189
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3)のことで、すでに開通していた高崎〜横川間(明治17年)と軽
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井沢〜直江津間(明治21年)を結ぶことによって、当時の日
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本の中心的産業であった製糸業の運送の飛躍的発展をもた
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らしたのだ。しかしその間にそびえたつ碓氷峠は急勾配が連
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続した難所中の難所であったため、当時の技術者たちはこれ
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を克服するためにアプト式という方法を編み出した。山国日本
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では山地を克服するのに様々な方法を考案してきた。山のま
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わりを旋回しながら登ってゆくループ式、そして以前木次線の
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章でも紹介したジグザグに登ってゆくスイッチバック式などが
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あるが、このアプト式というのは網目状のラックレールと呼ば
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れるレールに機関車の歯車を噛み合わせ滑り止めとし、一気
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呵成に登ってしまう方法だ。しかし昭和38年に現在の新線が
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開通、アプト式は廃止の至りとなった。
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旧軽井沢駅は現在も記念館として新・軽井沢駅の北口の西
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側に保存されている。
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さて、横川軽井沢間を紹介する前にもうひとつ廃線を紹介して
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おこう。大正4年、温泉地草津と軽井沢を結ぶ草軽軽便鉄道
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が開通した。距離にして55.5キロの鉄道で、昭和37年まで
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走っていた。37年といえば横川〜軽井沢間廃止の1年前だ。
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現在も走行していた機関車デキ12形は軽井沢駅前に保存さ
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れている。まるでブリキのおもちゃのような機関車で、よくぞ
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客車をひっぱっていたと関心する。
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機関車の周りの柵には当時の枕木が使用されていた。
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さて、いよいよ本題に入るが、私が今回使用した切符は |
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「レール&レンタカー」という企画乗車券で、JR線通算 |
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201キロ以上の利用で、発駅から使用駅レンタカーの営 |
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業所まで51キロ以上離れていることが条件。満たされる |
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と、JR運賃が2割引、特急料金が1割引、レンタカーも特 |
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別料金となる。軽自動車なら丸一日で4500円とお得だ。 |
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そしていよいよ出発します。
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軽井沢駅から峠に入り、すぐに最初のポイントのトンネル |
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に到着した。旧熊ノ平駅と軽井沢間に残されている数少 |
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ない遺構で、長さにして約100メートルくらいのトンネル |
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だ。入り口は枕木で柵がしてあるが、坂を外側から上って
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ゆくとすぐに反対側の出口を発見することができた。 |
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>>トップページ>>目次>>第3回「横川〜軽井沢A」
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