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京都散策記

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宇治A・平等院

平等院はそもそも、9世紀に、嵯峨源氏で、源氏物語の光源氏の
モデルになった源融(みなもとのとおる)営んだ別荘だったものが
宇多天皇に渡り、更に天皇の孫である源重信を所有を経て、
998年に関白・藤原道真の別荘「宇治殿」になったのである。

1052年に藤原頼通により、、宇治殿は「」に改められる。

10円硬貨に刻印されていることから、あまりにも有名。
1994年12月に、「古都京都の文化財」のひとつとして、
ユネスコの世界遺産に登録されている。
当時の日本には、所謂「末法思想」が広がっていた。
釈迦の死から2,000年目以降は、仏法がすたれ、天災人災がある。
続き、世の中は乱れるとする思想である。
1052年という年は、まさに「末法初年」にあたるとされていたの
で貴族や僧侶には、極楽往生を願う浄土信仰が流行していた。
そのような背景を経て、翌年である1053年に阿弥陀堂(鳳凰堂)

が建てられたのである。

堂内には、平安時代の最高の仏師・定朝によって作られた
阿弥陀如来坐像が安置され、華やかさを極めていた。

大屋根には鳳凰(国宝)が飾られている。
鳳凰堂の名前の由来にもなったものだが、これは
レプリカで、本物は、敷地内にある鳳翔館という
ミュージアムに収められている。
 
 
 
 
 

鳳凰堂は、本尊阿弥陀如来像を安置する中堂、左右の翼廊
中堂背後の尾廊の計4棟からなる。
左写真は、正面から向かって左側の、翼廊の様子。
 
 
 
 
 
 

近くで見ると、木材もかなり古びているのがよくわかる。
刻んできた歴史の重さが感じられる。
 
 
 
 
 
 
 

さて、平等院は、戦の舞台にもなっていた。
時は、1180年。平清盛が政権を握り、「平家でなければ
人でない」とまで言わしめたこの時代。
摂津源氏の嫡流である源頼政は、後白河法皇の皇子・
以仁王の令旨に従い、平氏に対して、宇治で挙兵した。
若い頃は、「鵺退治」などで武名を馳せた頼政も、このとき
76歳。武運つたなく敗れ、そして自害した。

その自害した場所「扇の芝」が平等院内に今も残る。

平家物語」でも登場するので、よくご存知か。

「扇の芝」のすぐ近くには、頼政の墓もある。
 
 
 
 
 
 
 
 
関連リンク

>>平安宮散策記<13>「鵺池碑」〜若き源頼政が、怪物「鵺(ぬえ)」と戦った地

スポットDATA
平等院 [交通]JR・京阪電鉄「宇治駅」から徒歩10分
[拝観時間・料金]大人600円(鳳凰堂の内部は別料金・300円、ガイド付)

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