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| 豊国神社は、豊臣秀吉を祀った神社。 |
| 慶長3年(1598)年に63歳で亡くなった秀吉は、後陽成天皇に |
| 正一位の神格と、豊国大明神の神号を賜り、遺命により、 |
| 遺骸は阿弥陀ヶ峰の中腹に葬られた。 |
| またその麓には廟社が造営された。 |
| しかし、豊臣氏滅亡後、徳川氏により廟社は取り壊され、秀吉の |
| 御霊は、新日吉神社に移された。 |
| 明治13年(1880)になってやっと、当地に社殿が再興された。 |
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| 唐門(国宝)。伏見城の遺構と伝えられ、二条城、南禅寺の |
| 金地院を経て、当地に移築されたもの。 |
| 両端の石灯篭は秀吉恩顧の大名が奉納したものである。 |
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| さすが秀吉ゆかりの神社だけあって、絵馬の形も秀吉の馬印 |
| 「千成瓢箪」となっている。 |
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| さて、豊国神社のすぐ隣に、方広寺はある。 |
| 天正14年(1586)に秀吉が奈良・東大寺を模して建立したが、 |
| 慶長元年(1596)の地震で大破。 |
| 豊臣秀吉の没後、徳川家康が豊臣家の財産を使わせる目的 |
| で、淀君と秀頼にすすめ再興させた。 |
| しかし、その際、鋳造させた、「国家安康の鐘」(重要文化 |
| 財)が、大きな問題となったのだ。 |
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| 鐘の「国家安康・
君臣豊楽子孫殷昌」の文字は、 |
| 『”家”と”康”の二文字を切り裂くと国は安らかである。 |
| ”豊臣を君として子孫の殷昌(栄えること)を楽しむ”と読める』 |
| と家康は豊臣に言いがかりをつけ、大阪冬の陣、夏の陣を |
| 起こすことになるのだ。 |
| 結果、豊臣氏は滅亡してしまう。 |
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スポットDATA
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豊国神社・方広寺
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[交通]JR京都駅から市バス206系統で5分、バス停「三十三間堂前」下車、徒歩5分 |
| [拝観時間・料金]拝観自由、拝観料無料 |
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