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勝竜寺城址

形式 平城
建築年 1339年(平成4年模擬櫓再建)
主な城主 細川頼春、細川藤孝
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備考  
時は、南北朝時代の1339年。
北朝方の細川頼春が、南朝方に対抗するために勝竜寺城を建設した。
淀川の水運と、西国街道を要する交通の要所として、その後
各勢力の争奪の地となるのである。
戦国時代は、和泉細川氏の細川元常、三好氏重臣岩成友通などが
城主となるが、織田信長がこの山城一帯を勢力を拡大すると、
信長により、元常の養子である細川藤孝が城主となり、城の増築
に取り組むようになる。現在の城郭はこの時期に造られた。
この藤孝の嫡男が、細川忠興
1579年忠興は、信長の命を受けて、明智光秀3女の玉子(ガラシャ)
と結婚する。しかし、1582年本能寺の変により、光秀が信長を討つと、
忠興は光秀方に付く事を快く思わず、ガラシャを丹後地方に幽閉する。
同1582年、豊臣秀吉と光秀の間に、山崎の合戦が勃発すると、この
勝竜寺城は光秀方の拠点の城となるが、光秀の敗北とともに落城する。
江戸時代は、永井氏が封せられるが、同氏の転封とともに、勝竜寺城は、
1649年に廃城となる。

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