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京都の中心河原町には2本の大きな商店街がある。 |
| 寺町通りと新京極通りだ。 |
| 実は、寺町通りはもとは「京極通り」であった。 |
| 「極」という字は「一番端」という意味があるが、平安時代、 |
| 「京都の東の端」と言う意味で、いまの寺町通りが「京極通り」 |
| と呼ばれていた。 |
| その京極通りの名を「寺町通り」に改めたのは豊臣秀吉で、 |
| 京都の防衛を目的として市中の多くの寺をこの場所に集めた |
| ことから、この名になったという。 |
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| 新京極通りができたのは明治5年で、寺町通りの裏通りに |
| すぎない状態であったという。 |
| 今のように繁華街の様相を呈して来たのは、明治10年頃から |
| であるらしい。 |
| 京都の土産ならたいてい、この新京極で手に入る。 |
| 名物「八つ橋」も色々な種類が揃っている。 |
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| さて、四条通り側から新京極通りに入り、北へ向かうと、すぐ |
| 錦天満宮がある。京の台所「錦市場」の入り口あたりにある。 |
| 勿論、菅原道真を祀ったもので、そもそも六条河原町にあっ |
| たが、1587年に豊臣秀吉により現在の位置に移された。 |
| 中には、京の名水として名高い「錦の水」が沸き出す井戸が |
| あり、水を求めてやってくる人が後を絶たない。 |
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| 繁華街の中、錦天満宮からさらに新京極通りを北へすすむと、 |
| 少し大きめの寺が見えてくる。誓願寺だ。 |
| 約1300年前に天智天皇が賢問子・芥子国という親子の |
| 彫刻師によって阿弥陀如来像を造らせ、その安置する |
| お堂としていまの奈良の西大寺付近に、誓願寺が建て |
| られたのが寺の由来である。 |
| しかし豊臣秀吉により現在の位置に移転させられる。 |
| 創建以来、10回以上火災に遭い、現在のお堂は昭和39年 |
| に建てられた。 |
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| 第55世の住職・安楽庵策伝上人は、「落語の元祖」と呼ばれ |
| 『醒睡笑』などといった著作も残しているが、 |
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それにちなんで、毎年10月には落語の寄席の奉納が |
| 行われている。 |
| その日もかなりの聴衆が集まっていた。 |
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お寺で落語・・・何か違和感も感じるが、教訓を民衆の興味
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| を引くように、笑い話で伝えると言う意味では、落語も良い |
| かもしれない。 |
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| 誓願寺を離れ、最後にやって来たのは、誠心院。 |
| 娘に先立たれ、この世のはかなさを思い、仏門に入った |
| 和泉式部が、初代住職として、1027年に藤原道長より |
| 与えられた庵が、この誠心院の起こりとされている。 |
| 誠心院の名は、式部の法名「誠心院専意法尼」に由来 |
| している。 |
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| 左写真は、誓願寺内にある和泉式部の墓。 |
| 和泉式部は平安時代の代表的な女流歌人で、才色兼備 |
| で知られ、「百人一首」などの勅撰歌集に収められた和歌は |
| 247首にも及ぶ。 |
| この搭は、1313年に、式部の遺徳を偲んで建てられた。 |
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スポットDATA
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誠心院
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[交通]阪急電鉄河原町駅から新京極商店街を通り、徒歩10分 |
| [拝観時間・料金]境内拝観自由。 |
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