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| 98年の夏のころ、私はまだ廃線跡に興味が乏しかった。 |
| そんな私を連れ出してくれたのが、私が昔所属した旅行サークル |
| のOBからなる「廃線跡を歩く会」のメンバーだった。 |
| いかんせん興味がなかっただけに、写真の数も少ない。 |
| これから私が自分で計画して廃線跡を歩くようになるまで、 |
| 約4年の歳月を要した。この旅は全てのはじまりである。 |
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早朝に大阪を出発、瀬戸大橋をわたり丸亀に到着した私たちは、
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丸亀から下津井行きのフェリーに乗船した。時間にして1時間弱。
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港に降り立つと、大きく瀬戸大橋が漁船の合間に見える。
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この町も、鉄道も橋の開通とともに、時間が停止してしまった
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かのようだ。下津井の港を降りてすぐのところにその駅舎は
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あった。窓は破れ、駅舎の中は廃屋となっていた。
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かつて、大正2年に軽便鉄道として開業し、四国から本州へ
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の玄関口として栄えた駅舎のなれの果てである。
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下津井電鉄は国鉄茶屋町〜下津井間であったが、昭和47
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年、児島〜下津井間に短縮された。その後、このささやかな
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鉄道をまたぐようにして瀬戸大橋が開通。乗客は激減した。
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| 瀬戸大橋ブームに便乗するように、イベント列車を走らせるな |
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ど奮戦したが、悲しくも平成2年に廃止に至った。誰もいない
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改札が郷愁を誘う。下津井から児島まで歩いてみると、まだ
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生々しく、鉄塔や、踏み切り、線路の跡が残っていた。
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何も無い夏草の間に、まっすぐと伸びる2本のラインは、かつ
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て線路があったことをはっきりと示している。このラインも何年
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かすると、風雪にさらされ、消えてゆき、完全に草の下に消え
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てしまうであろう。ここで芭蕉の句がふと心にうかんだ。
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「夏草やつわものどもが夢の跡」
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現在の下津井電鉄は社名そのままに、バス会社へと変貌し
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ている。旧下津井電鉄駅舎はそのまま保存され、記念館、バ
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スターミナルとなっている。
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<参考> |
「鉄道廃線跡を歩く」宮脇俊三(1995) |
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下津井電鉄株式会社ホームページ |
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>>トップページ>>目次>>第2回「横川〜軽井沢@」
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