|
|
 |
| 南イタリアにあるポンペイ市。 |
| 小さな地方都市にすぎないが、この街には、世界有数の観光客 |
| の訪れる遺跡がある。 |
| ポンペイ遺跡だ。 |
| 紀元79年、ベスビオ火山の噴火により、わずか19時間で街は、 |
| 灰の中に埋もれてしまったと言われている。 |
| そして、タイムカプセルのように、静かに、掘り起こされる時を待っ |
| ていたのだ。 |
|
|
|
 |
| 1700年間火山灰の下に眠っていたポンペイを目覚めさせたのは |
| 一人の井戸掘り職人だった。 |
| 1748年、ポンペイ近郊の別荘で井戸を掘っているとき、彼は、 |
| 美しい大理石の像を見つけた。 |
| この地は一躍注目を浴び、ヨーロッパの王侯貴族らは遺跡から |
| 出土するモザイクやフレスコ画、大理石の像などを競って収集する |
| ようになった。 |
|
|
|
|
|
 |
| 最初に発掘を組織的に手がけたのは、18世紀に、ナポリを支配 |
| していたスペイン国王のカルロス3世。 |
| ただし、このときの発掘というのは歴史的遺物を発見するという |
| のではなく、美術的に価値のあるものだけを国王の元へ送り、 |
| 不必要な物は破壊したり、新たな道具の材料とするという乱暴な |
| ものだった。 |
|
この方法は、非難を浴び、ローマ法王からストップがかけられ、 |
| その後は、ポンペイの発掘は考古学的・芸術的なものとなって |
| ゆく。 |
|
|
 |
| ナポリの支配者が変わっても発掘は休むことなく続けられた。 |
| オーストリアのマリア・テレジアの娘や、ナポレオンの妹で |
| ナポリ王妃となったカロリーヌも何度もポンペイに通い、発掘 |
| を見守った。 |
| 発掘が進むにつれ、ポンペイを一目見ようと、観光客もやって |
| くるようになる。 |
|
|
|
|
|

|
| ドイツの作家ゲーテは『イタリア紀行』でポンペイに触れ、 |
| イギリスのリットン卿(1803-73)はポンペイの遺跡からイメージを |
| 膨らませ、『ポンペイ最後の日』でベスビオ山の噴火に逃げまどう |
| 人々を書き綴った。 |
| 左、写真は、まっすぐに伸びる舗装された大通り。 |
| 真ん中に見える飛び石は「横断歩道」であったと言われている。 |
| また、通りの両脇には排水溝もある。 |
|
|
|
|
|
|
|
 |
| こちらの写真は、街に数多くあったと思われる「商店」の跡。 |
| 噴火の起こった紀元79年、ポンペイには1万数千から2万人の |
| 人々が暮らしていた。 |
| 地中海貿易の拠点として、さぞかし活発な経済活動が行われて |
| いたことであろう。 |
|
|
|
|
|
 |
| 高温の溶岩のせいで人間の体は一瞬にして蒸発したと |
| 言われている。 |
| しかし溶岩が冷めて乾いた後、人間の跡だけが残った。 |
| これは、そこから石膏で形どったものだ。 |
| 生々しいほどに、当時の様子がよくわかる。 |
|
|
|
|
|
|
>>トップページ>>目次>>第2回「バジリカ〜アポロ神殿〜スタビア浴場」
|