|
|
|
建築年
|
744年
|
|
所有文化財
|
|
|
備考
|
大阪市中央区法円坂
|
|
リンク
|
|
|
聖武天皇が即位した時期、藤原鎌足の子、不比等が
|
|
娘宮子(後の光明子)を聖武天皇の后にして政治の実権を握って
|
|
いましたが、その後任である長屋王(天武天皇の孫)が藤原武智麻呂
|
|
に「謀反の疑いがある」とされて謀殺されるなど(長屋王の変)、
|
|
権力闘争が激しく、政治は極めて不安定であった。
|
|
その後も困難は続き、723年には天然痘が大流行。
|
|
多数の死者を出し、長屋王死後、権力を握っていた不比等の4子
|
|
(藤原四家)も全て死亡してしまう。
|
|
唐から帰国した玄ム・吉備真備が変わって政治を行ったが、
|
|
彼らに反発する藤原広嗣が九州の大宰府で反乱を起こす
|
|
(藤原広嗣の乱)など、聖武天皇には落ち着く暇がなかった。
|
|
そこで、聖武天皇は縁起を担ぎ、740年から恭仁京、紫香楽宮と
|
|
転々と都を移し、そして744年、約90年ぶりに難波に都を置く。
|
|
これが後期難波宮である。
|
|
大陸式の建築様式で、非常に豪華であったといいます。
|
|
前期難波宮と同じ場所に重なるようにつくられました。
|
|
|
|
>>トップページ>>目次
|