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| 京都の花街といえば、まず最初に思いつくのが祇園であるが、 |
| 壬生を中心に活動した新撰組にとって祇園は少し距離的に遠く |
| 最寄の花街・島原で大いに暴れたのである。 |
| 島原の名前の由来は、六条三筋町にあった遊郭をこの地に移すに |
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あたり、移転騒動が九州の島原の乱があった頃であったため
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| 名づけられた。 |
| 島原の東の入り口には島原大門と呼ばれる |
| 門が現存し、そこを抜けると、お茶屋の立ち並ぶ区画に出る。 |
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| 島原には、置屋と揚屋というものがあった。 |
| 置屋というのは、芸妓を抱えている店で、揚屋というのは |
| 置屋から派遣された芸妓と伴に食事をする料理屋であった。 |
| その芸妓の頂点に立つ者は、「太夫」と呼ばれ、その太夫を |
| 抱えていた由緒ある店が、左の写真の輪違屋である。 |
| こちらは一見さんお断りである。 |
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| しかし、元はといえば浪士の集まりの新撰組が、遊郭遊びを |
| するほどの金をなぜ持っていたのか? |
| それは池田屋事件以後、新撰組が幕府や会津藩から活動の |
| 見返りとして褒賞金を得ていたからなのである。池田屋事件 |
| の際は、近藤50両、土方30両、永倉新八20両、斉藤一 |
| でさえ、17両も貰っている。しかし彼らは、湯水のように金を |
| 使い、結局は借金をもするようになった。 |
| そこで、隊の規則に「勝手に金策するべからず」という一文 |
| が付け加えられたのだ。 |
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| 現在でも拝観可能なのは、代表的な揚屋であった角屋 |
| である。 |
| あたかも江戸時代にタイムスリップしたような感覚を受ける。 |
| この店で酔いつぶれて八木邸帰った芹沢鴨は、 |
| 土方らに襲われるのである。 |
| 店には新撰組が戯れにつけた刀傷も残る。 |
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スポットDATA
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角屋
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交通]阪急大宮駅から市バスで「島原口」下車、徒歩10分。 |
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[拝観時間]10:00〜16:00、大人600円。
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